生協の生みの親として知られ、「現代の三聖人」とも呼ばれた賀川豊彦の妻・ハル(1888~1982年)の半生を描いた評伝小説『春いちばん 』(家の光協会)の出版を記念する講演会が4月22日、東京・銀座の教文館で開催された。著者の玉岡かおる氏(作家、大阪芸術大学教授)による講談のような名調子に、長年のファンを含む読者が耳を傾けた。教文館キリスト教書部店長の吉國選也(よしくに・えりや)氏が司会を務めた。
教文館では4月14~25日、賀川豊彦記念松沢資料館の協力により、「賀川ハル特別展――愛と奉仕の生涯」を開催。生前の活動の記録、愛用の日用品、ハルと豊彦との書簡など、パネルと品々を展示したのにあわせて、今回の講演会が実現した。
社会事業家として名を馳せた豊彦のもとには、その魅力に惹かれ多くの女性が集まった。一方で、豊彦の人生は「過酷そのもの」だったと玉岡氏は表現し、キリスト教信仰に基づいた隣人愛による生活困窮者への徹底的な支援活動には誰も同伴できなかったと紹介。
豊彦と共にいることは想像される甘い夫婦生活ではなく、命をかけて支援の最前線に立つことであった。しかし「彼の横に立てるのは私しかいない」と、25歳の時にハルは結婚を決意した。
実際、結婚してすぐ豊彦は米プリンストン大学への進学を決意。新婚のハルは神戸に取り残され、自らも国内の神学校で学ぶという別居生活を経験した。そこには理想と現実の乖離があり、小説内ではそれらの葛藤についてもハルの視点から鮮やかに描かれている。
また、豊彦の活動が拡大すればするほど批判も高まった。例えば豊彦が講演活動のために一等車(今のグリーン車に該当)で移動していると、「貧民のためと言いながら矛盾しているではないか」と指摘された。その際、ハルは「あなたは一等車の中で豊彦が何をしているかご存じですか? 貧しい人のために原稿料を稼ぎ、次の活動のために計画書を記しているのをご存じですか?」と真っ向から反論したという。これもまた、豊彦の最も近くにいた存在だからこその発言だと玉岡氏。
豊彦を支えただけではなく自身も「スラムの女神」と呼ばれていたハルは、インフラが整備されていない地域で感染症に罹患しながらも支援を続けた。そこには、豊彦と同じ隣人愛の精神とキリスト教信仰があった。一連の活動を玉岡氏は、「現在のSDGsの先駆けだった」と評した。
ハルの生涯は、ひと言で言えば豊彦の「妻」ではなく「同志」だった。しかしそれは強いられたものではなく、主体性を有する快活な働きであり、その半生を見事に表現しているのが同作の特徴である。
吉國店長によれば、ハルは教文館とも縁が深い。ハルの伯父・村岡平吉は「福音印刷」という会社を立ち上げ、銀座4丁目に事務所を構える。それを継いだのが息子の敬三で、彼と結婚することになる教文館勤務の安中花子はNHK連続テレビ小説『花子とアン』のモデルにもなった。今回の特別展、および講演会の企画に携わった関係者は、いずれ賀川ハルの生涯も映像化できないかと期待を寄せている。