Q.夫の暴力に耐え切れず離婚を考えているのですが、相手が牧師なので躊躇しています。(50代・女性)
一信徒の目から見ても、牧師の家庭ほどプライバシーが守られにくい環境はないかもしれません。牧師という仕事は全人格的な営みであり、牧師とその家族の関係、家族のありようまでが職務と不可分に問われます。
そういう中で、夫婦の関係は、パウロによればキリストと教会の関係にまでなぞらえていますし、その他離婚を禁じるかのように読める聖書の箇所あります。相談者の悩みもそのあたりにあるのかと思います。
もう一つ困難な事情。一般には離婚の相談を受けたときには、まず別居を勧めます。同居しながら離婚を切り出すことは困難ですし、特に夫婦間暴力(ドメスティック・バイオレンス=DV)の場合は暴力を恐れなくてよい環境を作る必要があるからです。
普通の家庭なら、しばらく一方が家を出てもこれを機に夫婦がやり直しをするということもあり、別居のハードルはそれほど高くありません。
しかし、牧師の家庭となると、信徒が言うのも何ですが、大勢のシュウト・コジュウトに囲まれているようなものです。ですから、よほど離婚の意思が堅くないと別居に踏み切るのは大変でしょう。これも決断できない理由かもしれません。
ところで、DVは弱者に対する支配の手段・結果と言われています。本来、愛は仕えることですから、夫婦は仕え合う存在です。支配ではありません。だから暴力は愛の対極にあるものでしょう。右の頬を殴る夫に左の頬を向ける必要はありません。
離婚により配偶者である牧師がどのような評価を受けてもあなたの責任ではありません。むしろ、あなたは、別居期間中の生活費を受ける権利や、離婚にあたっての自己の権利を確保すべきです。
聖書の結婚観について、私は門外です。けれど、牧師であろうとなかろうと、夫も人間、妻も人間。婚姻は制度です。あらゆる制度は人の幸福のためにある、これが私の回答です。
おおしま・ゆきこ 弁護士。1952年東京生まれ。72年受洗。中央大学法学部卒業。84年に千葉県弁護士会へ登録。渥美雅子法律事務所勤務を経て、89年に大島有紀子法律事務所主宰となり現在に至る。日本基督教団本所緑星教会員。