Q.「神に委ねる」ことが大事だと教えられたので、なかなか自分で意思決定ができません。どうすればよいでしょうか?(20代・女性)
「委ねる」という言葉は、新約聖書共同訳では、27箇所に出てきますが、なんと言っても有名なところは主の十字架の最後の場面でしょう。「イエスは大声で叫ばれた。『父よ、私の霊を御手に委ねます。』こう言って息を引き取られた」(ルカによる福音書23章46節)。主は「私の霊」、ご自身のすべてを父に委ねられた。オリーブ山(ゲッセマネ)での汗が血の滴るように流れる祈りの中では、「父よ、御心なら、この杯を私から取りのけてください。しかし、私の願いではなく、御心のままに行ってください」(ルカによる福音書22章42節)と祈られています。
質問しておられることは「私の願いではなく、御心のままに」、このところだと思います。キリスト者は、主が父のみ心に生きたように、そのように生きて行きたいと願っています。そのみ心は、十字架の救い、罪の贖い、そこに神の愛が示されたとはヨハネの手紙の強調するところです(4章7~21節)。この手紙では、主のみ心とは「愛」です。私たちにとってみ心をなすとは、主がそのように生きられたように「愛に生きる」ということになります。これは強い意志です。
「私の願いではなく、御心のままに」、ここでは自分の思いが打ち消されるというより、その思いがみ心と一つになっていることに主の意思の深さと強さをうかがい知ります。
私たち誰しもしばしば大きな人生の節目を迎える時、いずれかを選択しなければならない時を迎えます。その時、私の思いが主のみ心にかないますようにと祈りつつ自分の意思を決めなければなりません。
どうすればよいかと、主のみ心がわからないから決めかねるのではなくて、自分の意思を主に委ねて進んでいくのです。
とは言え、実際、私も主のみ心がわからない、としばしばつぶやく時があります。しかし、祈りつつ進むのです。私の意志がみ心にかないますようにと祈りつつ。
ひらおか・まさゆき 1950年、福岡県生まれ。日本ルーテル神学大学神学部(現ルーテル学院大学)、日本ルーテル神学校卒業。83年より日本福音ルーテル教会牧師。85年から統一協会、94年にはオウム真理教信者の脱会支援に着手するなど、長くカルト問題に取り組み、カウンセリング活動を続けた。共著書に『マインドコントロールからの解放』(三一書房)、『啓示と宗教』(サンパウロ)など。2009年、58歳で逝去。