わたしは主を愛する。主は嘆き祈る声を聞き、わたしに耳を傾けてくださる。生涯、わたしは主を呼ぼう。
詩編116編1〜2節(参考箇所詩編116編1〜19節)
人の生涯は、死をもって終わりとします。しかし、死は生涯の結びとしての完全な終わりを約束しないのも事実です。死は人の終わりに、問いを残すものです。これまでの人生の歩みの中での嘆きであったり、死後についての恐れであったりすることでしょう。この詩編の作者もそうでありました。彼は「死の綱がわたしにからみつき、陰府(よみ)の脅威にさらされ、苦しみと嘆きを前にして」(3節)と告白します。死が間近に迫るとき、死が問いかける問いに答えを出すため、人生を修復したり、完成させたりする時間は、残されていません。あるいは死後という未知の世界への恐れに、納得できる答えを持ち合わせていません。
そのような死の問いを前にして、この作者は「主の御名を呼ぶ」(4節)のです。それは、納得のいく答えをくださいと言っているのではありません。ひたすらに主なるお方を呼んでいるのです。主はわたしの嘆き祈る声を耳を傾けて聞いてくださるお方であると知っているからです。人は嘆きや恐れの中にあるとき、納得のいく答えよりも聞いてもらいたいのです。聞いてもらうこと自体が、答えなのです。死にさいして聞いてくださるお方をもつ人は幸いです。