主は恵み深く正しくいまし、罪人に道を示してくださいます。
詩編25編8節(参考箇所詩編25編1〜22節)
この詩編の作者は若い頃、罪を犯し神に背いたことがあるのです(7節)。作者とされるダビデは若い頃、バト・シェバとわりない仲となり、その夫ウリヤを戦場に送り込んで戦死させるという悪行を行なっていますから、その罪を思い起しているのかもしれません。
年老いた今、若い頃犯した罪がしきりに思い出されるのです。このまま。生涯の終わりを迎えてしまうならば、赦(ゆる)されることがなく罪に苛(さいな)まれたままになるかもしれない、そうであれば安心して死を迎えることはできないと痛みがしきりに心をよぎります。
人は死に臨むとしきりにこれまでの人生をふり返るものです。心残りのこともありましょう。未完成の仕事を抱えたままで死を迎えることもあるでしょう。中でも過去に犯した罪は心に強く残るものです。年老いて死を間近に感じるようになると過去のことがしきりに心を咎(とが)めます。もし相手がいるなら、直接顔と顔を合わせて和解をしたいと望み、それがもはや適わぬのなら、犯した罪の赦しを得たいと願います。
この作者は犯した罪をそのまま抱えて、主なるお方の前に立っています。そして「主は恵み深く正しくいまし、罪人に道を示してくださいます」と告白するのです。