9月7日 ゼカリヤ書9章10節

わたしはエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる。
ゼカリヤ書9章10節(参考箇所同書9章1〜17節)

ゼカリヤはハガイと共に神殿再建に尽くした人です。9章の冒頭には、シリアからガザに至る諸民族の混乱、荒廃ぶりが述べられています。それを見て「人々はイスラエルの全部族と共に主に目を向ける」1節)とゼカリヤ書は述べます。

人々が荒廃の中で求めるのは平和です。民族と民族の間に、家族一人一人の間に、近隣同志で、宗教の間にも平和がなければなりません。それほど強く求められる平和であるにもかかわらず、いともたやすく破られてきたのも事実です。重要でありつつ、これほど脆弱なものはない、平和とはそのようなものなのでしょうか。

ゼカリヤは、人間が求めて止まない平和はどのようにして来るかを預言しました。「見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、ろばに乗って来る」(9節)」と。軍馬ではなく、ろばに乗っておいでになる方がいますと言っているのです。ろばに乗るとは、ろばに象徴される、平和の脆弱さを一身に引受けた姿に他なりません。この方による平和は十字架がもたらす平和です。「軍馬を絶ち」、「弓を絶つ」ことで到来する平和の根源がここにあります。

賀来 周一

賀来 周一

1931年、福岡県生まれ。鹿児島大学、立教大学大学院、日本ルーテル神学校、米国トリニティー・ルーテル神学校卒業。日本福音ルーテル教会牧師として、京都賀茂川、東京、札幌、武蔵野教会を牧会。その後、ルーテル学院大学教授を経て、現在、キリスト教カウンセリングセンター理事長。

この記事もおすすめ