海水を蒸留で真水にするように、一滴一滴ポタポタと。【聖書からよもやま話191】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、  イザヤ書の4章です。それではよろしくどうぞ。

◆イザヤ書 4章4節

主が、さばきの霊と焼き尽くす霊によって、シオンの娘たちの汚れを洗い落とし、エルサレムの血をその町の中から洗い流す時、
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

僕たちは人生の中で、時には試練を受けることもありますし、時には身を焼かれるほどに辛い思いをすることもあります。しかしそういった神様の「さばき」や「焼き尽くし」は汚れを洗い落とす過程なのだと、聖書のこの箇所から読み取れます。金や銀は激しい炎の中で精錬されます。炎をくぐることなしに精錬されることはありません。

そして、汚れが洗い落とされた後に、神様は僕たちに豊かな祝福を与え、何者からも栄光を守ってくださるのだと、この次の節には書いてあります。神様の「さばき」はただ単なる裁きではなく、神様を求める民にとっては祝福の過程なんです。

祝福は受けたい、でも炎をくぐるのは嫌だ。・・・というのが本音ですけれど、それは通じないんです。金や銀が、不純物を取り除かれて精錬されていくように、僕たちも自分の不純物、つまり罪を取り除かれて精錬されなくてはなりません。金や銀の職人が、金銀を燃やし尽くすために炎をくぐらせるのではなく、よりよいものとするために炎をくぐらせるのと同じように、神様も僕たちをよりよいものとするために、試練や苦難をくぐらせます。それは決して僕たちを憎んで滅ぼそうとするためではないんです。
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海水は、蒸留して塩分を取り除いて真水にしなければ飲めません。海水は火の上に乗せられて、沸かされて、一度蒸気となり、そこから冷やされて真水にならなくてはいけません。その過程を嫌がって海水のまま飲んでしまえば、飲む人の命は保たれません。蒸留は一滴一滴ポタポタと時間のかかるものですが、僕たちもまた同じように一滴一滴ポタポタと時間をかけて、真水とならなくてはいけません。時間はかかっても、やがてそれはちゃんと命を保つほどの、あるいは養うほどの量になります。そうなった時、神様は心から喜んでくれるはずです。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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