3月15日 マルコ2章22節

新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。
マルコ2章22節(参照箇所同書2章18〜22節)

新しいぶどう酒は醗酵力が強いので、古い弾力を失った革袋にいれると破れてしまいます。主イエスに従う者は、それまでの古い考えや慣習を保ったままでは、新しい教えに耐えられないと言っておいでになるのです。

信仰によって生きるには、今までの古い自分の世界を脱ぎ捨てねばならないことは当然のことで、どのようにして新しい自分であり得るかが大きな問題となります。しかし主は新しいぶどう酒は新しい革袋に入れなさいとはおっしゃいません。「入れるものだ」と言われるのです。22節の冒頭には「だれも新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない」とあります。

主イエスに従う者となった者は、すでに新しい革袋とされていることに気付かねばなりません。パウロがダマスコ途上で復活の主に出会い、回心の経験をしたことは有名な話です(使徒言行録9章)。彼は主を受け入れるために新しい革袋にならなければならなかったのでしょうか。けっしてそうではありません。彼はキリストと出合うと同時にすでに新しい革袋になってしまっているのです。

賀来 周一

賀来 周一

1931年、福岡県生まれ。鹿児島大学、立教大学大学院、日本ルーテル神学校、米国トリニティー・ルーテル神学校卒業。日本福音ルーテル教会牧師として、京都賀茂川、東京、札幌、武蔵野教会を牧会。その後、ルーテル学院大学教授を経て、現在、キリスト教カウンセリングセンター理事長。

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