3月10日 山上の説教 マタイ6章8−9節

あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。だから、こう祈りなさい。
マタイ6章8−9節(参照箇所同書6章5−13節)

主は、「主の祈り」を教えられるにあたって、「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。だからこう祈りなさい」と言われました。祈りはすでに聞かれているという意味がここにあります。もしそうであるなら、もはや祈る必要はないではないかと訝(いぶか)しむことがあるかもしれません。しかし主イエスは聞かれているからこそ祈るのだと言われているのです。

キリスト者詩人八木重吉は「祈りの種は天に蒔(ま)かれ、さかさまに生え、地上に至りて実を結ぶ」と詠(うた)いました。祈るときは、すでに祈った結果を手にしているという意味がここにあります。

しかしわたしたちは注意しておかねばなりません。祈りが聞かれるとは、願い通りに祈りが聞かれることとはちがうのです。真剣に祈っても、願った通りにならないこともあるでしょう。結果が意図しないことであったり、場合によっては願いとまったく逆のことであったかもしれません。

けれども最も必要なものをご存知であると信じて祈った結果がそこにあります。結果はどうであれ、わたしにとって最も必要なものが与えられる、それこそ信仰による祈りです。

賀来 周一

賀来 周一

1931年、福岡県生まれ。鹿児島大学、立教大学大学院、日本ルーテル神学校、米国トリニティー・ルーテル神学校卒業。日本福音ルーテル教会牧師として、京都賀茂川、東京、札幌、武蔵野教会を牧会。その後、ルーテル学院大学教授を経て、現在、キリスト教カウンセリングセンター理事長。

この記事もおすすめ