イツハク・ラビン(イスラエル元首相、1922~1995年)の暗殺から26年、今月はその記念集会があちこちで催された。それとほぼ同時期に、ラビンと共にイスラエルとパレスチナの和平推進に貢献したシモン・ペレス(イスラエル元首相・元大統領、1923~2016年)による性的ハラスメントについて、40年の時を経て女性たちが声を上げ始め、大きく報道された。ペレスはオスロ合意翌年の1994年、ラビン、ヤーセル・アラファート(パレスチナ元大統領、1920~2004年)と共に、ノーベル平和賞を受賞している。
まず声を上げたのは、元国会議員のコレット・アヴィタル(81歳)だった。ペレスが故人である以上、本人による事実確認は得られない。だが彼女がハアーレツ紙に語ったところでは、1984年選挙に勝って首相職に就いたペレスは、海外での職を終え帰国したばかりの彼女に、彼女が女性なので要職には就けられないと告げた後、同意なしに身体接触したという。そして周囲の人々は皆そのことを知っていたが沈黙し、その後ペレスと彼女の特別な関係が噂されるようになった。
イスラエルはもともと要職に就いている人物が刑事告発され、有罪判決を受けて実刑に処せられるのがさほど珍しくない国である。たとえば2010年にはモシェ・カツァブ元大統領が強制わいせつ罪で有罪判決を受け収監されたし、2015年にはエフード・オルメルト元首相が汚職で有罪となり収監された。
これをひどい指導者しかいない国だと見ることも、要職にある人物にも有罪実刑判決を下すことができる司法制度をもった民主的な国だと考えることも可能である。リベラルでクリーンなイメージがあったペレスに対する今回の告発には、さまざまな意見が出された。いくら政治的貢献があったとは言え、この行為は看過されるべきではない。だがこの行為があったからと言って、彼の政治的貢献が帳消しになるわけでもない。
アヴィタルはその後のテレビインタビューで、「最も辛かったのは、自分のその後のキャリアがペレスの引き立てがあったからだと言われ続けたことだ」と語っている。また「当時は誰であれ地位のある男性は若い女性に対してそのような振る舞いをするものだという空気があったが、今後の世代ではそういう空気がなくなるだろう」とも述べている。
ある傾向を世代といった特定の属性のせいにするのは、同じ属性の範疇でもそういう振る舞いをしない人がいるのでフェアではないだろう。だがその一方で、幼いころから内面化した行動原理を変えるのは、多くの人にとってたいへん困難であることも事実だと思う。私自身もその刷り込みから自由ではない。おそらくあの世代の人々にとって、異性同士の関係構築については、きわめて限られたモデルしかなかったのだろう。現代において、かつてのあからさまな、あるいは「保護する」という名目と表裏一体の支配的関係のあり方がよくなかったという理解は広く共有され始めている。だが「それをしてはだめだ」は分かっても、「どうすればいいか」についてはなかなか具体的なモデルが見つけにくい。
最近になって一部のフェミニズム的言説が、女性による男性支配に見える様相を呈し始めたのも、その具体的なモデルの欠如が背景にあると思う。そもそもどのようにすれば人間同士は、支配被支配の関係に陥らず、親しく対等な関係を継続的に結び得るのか。今後あらゆる世代が問い続け、具体的方法を模索し続けていかなければなるまい。
山森みか(テルアビブ大学東アジア学科講師)
やまもり・みか 大阪府生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。1995年より現職。著書に『「乳と蜜の流れる地」から――非日常の国イスラエルの日常生活』など。昨今のイスラエル社会の急速な変化に驚く日々。