ハイテンションな時ほど、発言には気をつけて【聖書からよもやま話48】

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章から心に浮かんだ事柄を、皆様の役に立つ立たないは気にせずに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、創世記の25章です。それではよろしくどうぞ。


◆創世記 25章30節

エサウはヤコブに言った。「どうか、その赤いのを、そこの赤い物を食べさせてくれ。疲れきっているのだ。」それで、彼の名はエドムと呼ばれた。

エサウとヤコブは、双子の兄弟で有名なアブラハムの孫でした。兄のエサウはワイルドなアウトドア系男子で、弟のヤコブはマイルドなインドア系男子でした。ですから普段から兄のエサウが外に出て狩りをし、弟のヤコブは家で仕事をするという役割分担ができていたようです。双子とはいえ、エサウの方が先に生まれたので兄とされ、父イサクの遺産や、アブラハムの子孫としての祝福もエサウが受け取ることになっていました。当時の相続システムは現代のように「兄弟平等」ではなく、「長男総取り」だったからです。

ある時、エサウがお腹をすかせて狩りから帰ってくると、家ではヤコブがレンズ豆のシチューを作っていました。どうもそのシチューは赤かったようです。レンズ豆自体は赤くありませんから、他にトマトかパプリカか唐辛子か、赤い何かが入っていたのでしょうかね。そうだとしたらチリコンカンみたいな味だったかもしれません。・・・まぁどんな料理だったか、どんな味だったかはともかく、それを見たエサウは「その赤いのを食べさせてくれ!」とヤコブに頼みました。ヤコブは「兄さんの長男の権利を僕にくれるなら食べさせてあげます」と意地悪に答えました。するとエサウは「長男の権利なんかあげるよ!だからすぐに食べさせてくれ!」と、あっさり長男の権利を一杯の赤いシチューと引き換えにヤコブに与えてしまいました。

このことにより、やがて父イサクがなくなると、ヤコブがアブラハムの子孫としての祝福を受け継ぎ、「聖書の主役」になっていきます。エサウは聖書の表舞台からは姿を消し、その子孫も「エドム人」という、どちらかといえば悪役として登場してくることになります。

たった一杯のシチューで、エサウは人生を棒に振ってしまったんです。なんと愚かなエサウ・・・とも思いますが、僕たちも手放しでエサウのことを笑えません。目の前の一時の満足のために、未来をダメにしてしまうことって、現代の僕たちにも心当たりのあることです。明日も仕事なのに飲みすぎて二日酔いになってしまうとか、夏に向けて痩せなきゃいけないのにポテトチップスを一袋食べてしまうとか、確かにエサウのようにそれで「人生を棒に振る」ほどのことは少ないかもしれませんが、細かく思い起こせばたくさんあることです。そしてエサウだってその時はまさかその一杯のシチューが自分の人生を大きく損なうだなんて、思いもしなかったでしょう。ほんの小さなことだと思っていたはずです。ですから、もしかしたら僕たちも、その一度の二日酔いとか一袋のポテトチップスとかが、思いもよらぬ形で人生に大きな影響を及ぼすことがあるかもしれないんです。注意深く生きなきゃいけないなと思わされます。

エサウはしかし、ただシチューを食べただけではなく、その時に「長男の権利なんて僕には価値がない!」と言い切ってしまっているのですが、それだって狩りから帰ってきた直後ですから、もしかしたらアドレナリンとかがドバドバ出ていて、いわゆるハイテンションな状態で発してしまった言葉かもしれません。このハイテンションというのは厄介なもので、確かにそれは人を活動的にもしてくれますが、長期的な視点とか冷静な判断力とかを減退させてしまうものでもあります。ハイテンションな時に勢いで発してしまった一言が人を深く傷つけたり、自分の信用を損ねたりすることって、人生には往々にしてあるものです。エサウのしくじりの本質は、「シチューと権利を引き換えた」ことよりも、「勢いで軽はずみな発言をしてしまった」ことにあるのかもしれません。

いずれにせよ、丁寧にきちんと生きなければいけないな、と思わされます。僕はこの「丁寧に」とか「きちんと」というのがあまり得意ではないので、特に気をつけなくてはいけないな、と、自分でこの文章を書きながら、自分で「耳が痛い・・・」と思っているところです。二日酔いも時々やりますし、ポテトチップス一袋食べちゃうこともありますし、その場の勢いで失言してしまったことだってあります。どちらかと言えばエサウを教訓にするというより、エサウに共感してしまうタイプです。でも聖書を読む時の大切なコツの一つは「耳が痛くても耳をふさがない」ということですから、正面から向き合おうと思います。だってそのために、このコーナーでは毎回ランダムに聖書箇所を選んでいるんです。自分で選ぶとどうしても「自分に心地よい、耳の痛くない箇所」ばかりを選んでしまいますから。

ところで蛇足ですが、エサウはこのエピソードによって、「エドム」と呼ばれるようになるのですが、この「エドム」という言葉、語源は「アドム」で「赤い」という意味だそうです。赤いシチューを食べたがったから「赤いの」ってあだ名をつけるなんて神様ちょっとシンプルすぎやしませんか。ちょっと昭和の小学生っぽいセンスを感じますよ神様。

・・・って、この蛇足が「軽はずみな発言」かもしれませんね。気をつけます。失礼いたしました神様。

それではまた。
主にありて。MAROでした。


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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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