彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、食べ物をくれる人は誰もいなかった。
新約聖書 ルカによる福音書15章16節(聖書協会共同訳)
救い主イエスの十字架の苦しみを思う四旬節(レント)。伝統的にこの時期を「断食の期節」としてきたのは、食べることのできない苦しみというものを経験することで、イエスが負った十字架の苦しみに自分自身を重ねようとした、信仰者の表現方法であったと言われています。
肉断ち&豆食生活を続けて、はや3週間あまりが経ちました。この間にまったく肉を食べていないわけではありませんが、自分から進んで積極的に肉を食べることを控えるようになりました。スーパーマーケットに行くと、お肉のコーナーを一応は通って、ああ、あの牛肉は安いなとか、美味しそうだなとかつぶやきながら、そのままスルー。
こういう生活をしていると、炭水化物=糖質を摂り過ぎてはいないだろうかとか、栄養バランスはどうだとうか、あれこれ考えるようになるのは、僕自身、ついついマニアックになってしまうんだなとつくづく感じさせられているわけでございますが、そんな生活をしていましたら、着ていたスーツに余裕がでてきたではありませんか。教会の礼拝でも「あれ、先生スリムになりましたか?」などと尋ねられて、調子づいてしまっています。ダイエットのために肉断ちしているわけではないのですけれどね。笑
さて、豆談義その2は、本当はやせたくないのに食べるものがなくなって、おそらくやせこけてしまったであろう、ある男の話から始めたいと思います。その男とは、おそらく「グルメ」だったんじゃないかと思うのは、食いしん坊な僕だけかもしれませんが、親からあらかじめ財産分与されて大金を手にしたらどうするかって話です。皆さんならばどうしますか?僕だったら、7万円のステーキを、、、おっとっとっと。そうとは限らずとも、美食の限りを尽くしたいなんて思ってしまいます。
この男、何に使ったのか分かりませんが、とにかく財産を使い果たしてしまいます。つまり食べることすら困ってしまう人間になってしまいました。その様子がどれほどかというのが、上にある聖書の言葉。「豚の食べるいなご豆ですら」というひと言に興味津々。豚が食らう豆とはいったいどんな豆なのでしょうか。なぜ豚が食べていたのでしょうか。興味はますます深まるばかりです。
今までの私の解釈はこんなものでした。「人間は手をつけないような、まずいいなご豆」というイメージです。だから二束三文で売られているような安さで、そんな安さですら買うことのできない、無一文の男という設定が、この聖書の言葉を読むたびに思い浮かんできたのでした。
しかし!
僕は今回、悔い改めましたね。そんなことも確かめもしないで勝手に決めつけてはいけないんだということを。どういうことかと言いますと、はい。いなご豆は豚が食べるほど「美味しい」食べ物なんだそうです。豚が食うものがまずいなんていうのは、偏見と決めつけがはなはだしいことを、改めて思わされた僕でした。どういうことか、もう少し説明しますね。
まず、いなご豆はAという頭文字で始まる、世界的な某通販サイトで販売されています。そして、1キログラムで1700円あまり。決して二束三文ではありません。早速買ってみたのは言わずもがな。注文したら、早速次の日に到着しました。それがこれ。茶色い粉末です。
いなご豆は「キャロブ」と呼ばれ、中東地方では古くから食べられている豆なんだそうです。そして、豆を包むさやなども、乾燥して粉末して食べられるということで、その粉末には自然の甘さがあり、お湯で溶かして飲むとか、料理にもいろいろ使われるとのこと。豚の食べるえさだけの豆ではなかったということでした。栄養素も豊富で、今スーパーフードとして注目されている「いなご豆」とのこと。
おお!ということは、豚はスーパーフードを食べていたのかということになります。この当時の中東世界では、豚は不浄の動物ということで、人々の口に入ることはありませんでした。そんなイメージが、いなご豆になおのことネガティヴなイメージを与えていたのかもしれませんね。それだけに、このキャロブがどんな味なのか、ますます関心は高まってくるというわけです。チョコレートの代用としても使うことができるとありましたので、次回までに、なにかレシピを考えてみたいと思います。ぜひ楽しみに待っていてくださればと思います!
今回はこれにて。またお目にかかりましょう!