ある年の冬、ドイツの教会から招かれてハノーバーの北西50キロほどにある町ロックムに赴いた。町には12世紀に創建され、宗教改革によって1600年ルーテル教会に移譲された教会があるというので、その場所を訪れたことがある。広大な敷地に修道院と共に、高い尖塔を持つ石造りの会堂が冬枯れの木々の中に静寂なたたずまいを見せていた。ほぼ500人は収容できるであろうと思われる会堂は、中に入るとしんしんと冷え込んでいた。会堂を通り抜け、すでに誰もいなくなった修道院の建物に入ると案内人が「ここも暖房はありません」と言う。「修道士たちは、夜どう過ごすのですか」と聞くと「弱い人は死にます」との返事が返ってきた。この返事にはいささか驚いたが、修道院の裏庭に出ると墓地であった。
修道院で死を迎えた修道士たちの墓標にはすべて名前の上部にソリ・デオ・グロリア(神にのみ栄光あれ=Soli Deo Gloria)と刻まれていた。それを見て、案内人が「弱い人は死にます」と言った言葉をふと思い出した。冬の夜、ゴホゴホと咳をしながら頭から夜具をかぶって寝ている修道士も、頑健な体をもち寒い夜も平気で乗り切る修道士も死ねばすべてSoli Deo Gloriaという言葉で生涯が締めくくられている。私は一種の感動を覚えた。病弱であろうが、頑健であろうが、等しくその死が神の栄光に帰す究極の恵みであることを。そして死は人をすべて等しくすることを、その文字に見て取ったからである。
教会に22才で亡くなった一人の女性がいた。小さい時から病弱で、心臓も悪かったので、ほとんど病院が生活の場であった。彼女のベッドの横には、小さい時から、成人するまで読んだ本がうずたかく積み上げてあった。彼女の目に入るものといえば、病室の窓から見える隣家の屋根とその上に少しばかり広がる空だけで、病室を訪ねて来る人は、病院関係者、家族、そして教会の青年仲間であった。
彼女は病床洗礼を受けていたので、毎月一回病床で聖餐式を行うことにしていた。ある日、何時ものように数名の青年と彼女のところを訪ねた。枕元で聖餐式の準備をしていると、彼女が尋ねた。「先生、私は何のために生きてきたのでしょうね。」一瞬、返事に窮した。「イエス様がおいでになるから」、「あなたと会った人は皆励まされますよ」など、ありきたりのことを言ったところで、彼女の真剣な問いにどれほど答えることができるのか。この時ほど人間の言葉はなんと貧しいことかと思わざるを得なかった。
やがて配餐のため、彼女の周りに皆が集まった。一人一人に「取って食べなさい。これはあなたのために与えられたキリストの体です。取って飲みなさい。これはあなたの罪のために流されたキリストの血です」と唱えつつ、パンとぶどう酒を分かち合った。彼女は、その聖餐式に与ってから数ヶ月後、主のもとに召された。
信仰を通しパンとぶどう酒に与ることは、キリストがそこにいますことを知ることである。「私は何のために生きてきたのでしょうね」と問う彼女を問いごとご自分のものとして引き受けてくださるキリストがそこにおいでであったにちがいない。
人は、自分自身の死に直面する時、何らかの問いを自分自身に投げかけない人はいない。ロックムの修道士たちもそうであったろう。彼らの問いはすべて、神にのみ栄光あれと墓標にあった言葉に答えを持つ。彼女の「わたしは何のために生きてきたのでしょうね」との問いもまた修道士と同じ答えを得たと言えるのではないか。