「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。(使徒言行録14章22節)
パウロとバルナバたちは、デルベまで足を延ばし、ここから再び同じ道を取って返した。そして、彼らの伝道によって誕生したばかりの教会に立ち寄り、今日の聖句を語って、弟子たちの小さな群れを力づけた。キリストの福音を信じ、福音に拠(よ)って立つ弟子たちの生活には、信仰の戦いと苦しみが伴う。主イエスは言う。「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」(ルカ12・32)。主の苦難にあずかる者が、主の栄光にあずかる。パウロとバルナバは入信したばかりの信徒たちを力づけた。ここに、伝道者は同時に牧会者であることを知る。信徒たちの信仰が成長し、成熟するまで、牧会は必要である。「牧会」とは、個人的な世話をして関係を築くことではない。み言葉によって、信徒をキリストにしっかりと結ぶ働きである。「牧会とは、説教のつとめをさらに徹底させて、個々人にまでみ言葉を届かせることである」(ボンへッファー)。パウロとバルナバは、「信仰に踏みとどまるよう」にと信徒たちを励まし、教会を去る前に、長老たちを任命して、牧会の務めを託した。教会に対する迫害が厳しい中で、信仰生活に入って間もない信徒を長老に立てることに、心配はなかっただろうか。いや、教会はパウロたちが集めた群れではなく、聖霊によって神が呼び集めた群れである。彼らはそのことを信じ、「断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた」(23節)。
「長老」という呼称は別にしても、今日、牧師と共に牧会の働きを担う信徒が多く立てられ、共同牧会がなされることによって、教会は体の各部分が一つに結ばれた主のからだとして形成される。