「お盆」が投げかけてくるもの 向井真人 【宗教リテラシー向上委員会】

法定外休暇である夏季休暇、すなわち「夏休み」のある企業にお勤めの読者はいらっしゃるだろうか。従来の夏季休暇は、お盆にあたる8月13~16日前後に設けられることが主流だったようだ。しかし最近では、働き方やライフスタイルの変化により、8月のお盆時期に限定せず、自由に法定外休暇を取得するよう従業員へ促す方針の企業もあると聞く。

それでも、取引先などがお盆時期に休みとなり工場がストップ、仕事にならないためにこちらもお盆に休日となる。そんなケースは少なくないようだ。お盆は地域によって、時期や期間がさまざまである。私の預かる寺院は都内にあり、7月13~16日の「7月盆」がメインのお盆である。

「盂蘭盆経」がお盆のネタ元と言われる。お盆とは、僧侶へのお供えとして食べ物を乗せるお盆のことだ。葬儀とは故人を僧侶せしむる儀式であり、お盆に故人へ御膳を用意して供えることを考えると、お盆は正式に行われていると見える。

また「倒懸」、すなわち逆さ吊りの苦しみと言われてもいる。逆さ吊りの苦しみとは、一つには、やらなければならないことをしない、やってはいけないことをするのが人間だ、というあべこべ感。逆さま感ではないか。子どものためを思ってしていることが、自分のためだった。自分の楽しみのためにお酒を飲んでいるが、ふたを開けると大酒でむしろ健康を害しているなど、まったくもって逆ではないかと。私たちはすでに、倒懸、逆さまでいる苦しみに生きている時があるとお盆は示してくれている。

「草葉の陰」という言葉がある。「陰から見守ってくれていることでしょう」と使われるように、亡くなった方の居場所としての言葉だ。そして、亡くなった方がどこかにいるかもしれない、と故人の居場所を認める言葉でもある。草葉の陰とはあの公園の草っ原の陰ではない。どこかにある、どこかにいることを暗示している。この思いを具現化したものの一つが、現在の天国、地獄や西方極楽浄土と言えるだろう。西方極楽浄土の西方も草葉の陰同様だ。その場所や空間とは、私の居場所を照らしてくれる西方であり、馬鹿正直な東西南北ではない。「西方」は「西方」でしかないし、私たちが拝む方向が「西方」なのだ。西方があるから、私が今ここで生きていることが確認できる。

お盆にはご先祖様が帰ってくると言われる。「民間信仰だ」「仏教由来ではない」など、ご意見さまざま結構。何であろうと故人が帰ってくるとは、私の居場所を照らしてくれることにつながる。先に逝った親しい人たちが帰ってくるのだと準備をするからこそ、彼らも存在を認められ、帰ってくることができる。帰ってくるのであれば、生者の私たちは彼らを元気で迎えたいし、また来年のお盆まで私たち自身、元気でいたい、暑い夏を乗り越えたいと思わないだろうか。

定例の宗教行事は、私たちの世界を広げてくれる。新しい視点を持たせるものだ。お盆であれば、逆さま側に立つ機会を私たちに与えてくれている。普段の生活の中で、亡くなった人のことを思い出す時間は少ないだろう。死者を思いやる機会もない。だからこそお盆の時だけでも、と自身の身に引き寄せて考えさせる仕掛けがある。さらには、あなた自身、逆さまの苦しみに実は合っていないだろうか、という問いを投げかけてくるのである。

向井真人(臨済宗陽岳寺住職)
 むかい・まひと 1985年東京都生まれ。大学卒業後、鎌倉にある臨済宗円覚寺の専門道場に掛搭。2010年より現職。2015年より毎年、お寺や仏教をテーマにしたボードゲームを製作。『檀家-DANKA-』『浄土双六ペーパークラフト』ほか多数。

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