(前編を読む)
迫害されるクリスチャンを支援する宣教団体オープン・ドアーズは、クリスチャンになることが最も難しい50カ国の年間ランキングを発表した。アジアの二つの国が順位を上げており、まずインドは、ヒンドゥー教による国民主義的な迫害によって反キリスト教的感情が盛り上がったため、ワールド・ウォッチ・リストのトップ10に入った。一方、中国は、共産党政府が主要なキリスト教会の集会を閉鎖し、クリスチャン指導者らを拘束し続けており、リストの43位から27位に順位を上げた。
米国のキリスト教、特に福音派について考える連載を始める。私は50年にわたって福音派に携わってきたので、そろそろ発言してもいい頃だろう。それは福音派全体の欠点と可能性についてであり、つまりそれは私自身に向けた言葉でもある。
現在の「福音派の危機」がいつ始まったのかを知ることは難しい。福音派の性格の一つに、絶え間ない自己批判があるからだ。福音派とは改革運動であり、福音派の目的は、それ自体を改革していくことにある。
毎年、ほぼ毎日といえる考古学的な発見は、聖書のより良い理解と、聖書の人物や出来事、文化の詳細を確認するのに役立っている。以下は、2018年に報じられた、聖書の世界と初期キリスト教史の知識を深めることになった発掘調査結果のトップ10だ。
これらの発見は個々には重要ではないかもしれないが、過去数十年に及ぶ他の発見と結びついて、聖書の歴史的な細部について大きな信頼を私たちに与えてくれる。
2位 エリック・クラプトン──主の臨在の中で(3月5日)
『エリック・クラプトン自伝』の中でクラプトンは、自身の祈りの生活の始まりについて詳しく語っている。1987年の施設でのどん底の時を。
「私は完全に絶望して、怯(おび)えきっていた」とクラプトンは書いている。「私は誰もいない自分の部屋の中で助けを求めた。自分が誰に話しかけているかは考えなかった。我慢の限界に来たことがわかっていただけだ。……私は救いを求め、ひざまずいて降伏した。二、三日のうちに、自分に何かが起きたことに気づいた。……私は心のよりどころになる一つの場所を見つけていた。それはいつもそこにあることはわかっていても、実際には信じたいとも、信じることが必要だとも思っていなかった場所だった。その日から今日まで、毎朝、必ずひざまずき、救いを求めるために祈っている。夜には、自分の人生への、とりわけ禁酒したことへの感謝の気持ちを伝えている。ひざまずくことにしたのは、祈る時、謙虚な気持ちになる必要があると思っているからで、エゴの強い私にできるのはせいぜいそれくらいのことだ。なぜ私がこんなことをするのか聞きたいなら、教えよう……。要するに効き目があるからだ」(339~340頁)
教会を去った人の多くは、「個人的な生活の変化(大学進学など)」や「教会内の偽善」、「政治に対するフラストレーション」をその理由に挙げているが、反対に、定期的な教会出席を続けた人はその理由を、「神様との関係を持つ上で教会が自分にとって重要だったから」(56%)、「日々の生活での決断を教会に導いてほしかったから」(54%)と回答した。
若いクリスチャンが教会を一度去ってからまた戻ってきた理由として最も多かったのは、「家族の励まし」(37%)、「教会に戻りたいという個人的な思い」(32%)、「神様が戻ってほしいと願っておられると感じたから」(28%)だった。