アフガニスタン東部ナンガルハル州の州都ジャララバード近郊で4日朝(日本時間午後)、現地で活動している医師の中村哲(なかむら・てつ)さん(73)が、作業現場に車で向かっている途中、武装集団に右胸を撃たれた。その後、病院に運ばれて集中治療室で治療を受けていたが、死亡した。運転手の男性ら同乗者5人も全員死亡している。
中村さんは1946年、福岡市に生まれ、西南学院中学3年生のとき、日本バプテスト連盟・香住ヵ丘バプテスト教会(当時は香椎伝道所)でF・M・ホートン宣教師よりバプテスマ(浸礼)を受ける。当時の香住ヶ丘教会はまだバプテスマが行われたことがなく、教会にとって中村さんは最初期の生(は)え抜き教会員だった。内村鑑三『後世への最大遺物』を読んで、「自分の将来を日本のために捧げる」という使命感を持ち、また「山上の垂訓」(マタイ5~7章)は暗記するほど読んだという。
滝沢克己教授という方が九州大学にいて、クリスチャンでした。その先生を通じて、神学者のカール・バルトの著作に触れることがありました。自分は、いちおうクリスチャンで(笑)、クリスチャンであるということと、儒教徒に近いということとがどう折り合えるのか。内村鑑三を通して感じたものをさらに明瞭にしてくれた。フッと「あ、これでいいんだな」と……。(澤地久枝との対談『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』岩波書店)
73年に九州大学医学部を卒業。82年、精神科医師として働いていたとき、日本キリスト教海外医療協力会から派遣されてネパール山岳地帯で医療活動を続けてきた岩村昇医師の講演を聞いたのがきっかけで、84年、パキスタン北西部のペシャワール・ミッション病院に同会から派遣された。以後、パキスタンやアフガニスタンで長年、医療支援を行い、農業用水路の建設や整備など、農地の再生にも携わってきた。
自伝『天、共に在り』(NHK出版)のタイトルは、次の聖書の箇所から取られている。
「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」。それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。(マタイ1:23)
中村さんはこの「神が私たちとともにおられる」という言葉こそ「聖書の語る神髄」だと考えていた。