胸の中に授けられた律法――中国カトリック教会が歩んだ道(6) 中津俊樹 【この世界の片隅から】

1949年10月に中華人民共和国の成立を実現させた中国共産党は、新国家を「労働者階級が指導し、労農連盟を基礎とし、各民主階級と国内各民族と団結する」「新民主主義、すなわち人民民主主義の国家」(中国人民政治協商会議共同綱領、1949年9月29日)と位置付けた。共産党はこの方針に基づき、国内の「民主諸党派」に対する「統一戦線」工作、すなわち共産党に協力的な党派の取り込みを本格化させた。これは、毛沢東が日中戦争(1937~1945年)期に提唱した「抗日民族統一戦線」方式を援用したものであった。ただ、その内実は「民主諸党派」が共産党の「指導」を受け入れることを前提としたものであり、多くの場合、それは「統一戦線」の対象とされた組織から「反動分子」を排除する事により、実現した。その際に中心的な役割を担ったのが、共産党に協力的な「民主愛国人士」と称される人々であった。

「統一戦線」方式は共産党と各党派だけでなく、他の団体との関係にも及ぶこととなった。

カトリック教会もその対象であった。「中国天主教友愛国会」(「愛国会」)の成立(1957年7月)はまさに、統一戦線工作の「成果」であったといえる。そして、それに積極的に呼応したのが、「愛国的」司祭・修道者、信徒のグループであった。「愛国者」たちは、ローマ教皇との一致というカトリック教会の伝統を守ろうとする司祭・修道者、信徒を非難するだけでなく、その行動や言動を監視し政府に通報する役割さえも、積極的に果たした(胡玫瑰、2020年)。彼らのこのような行動はその本質において、無神論が支配する社会で生き延びるための「刻印」を無神論者によって押されることを、自ら進んで選択したに等しい行為であった。

それに対し、キリストへの愛とカトリック教会の価値観への忠誠を誓う司祭・修道者、信徒は「愛国者」と政権からの圧力に屈することなく、キリストへの信仰を守り続けた。例えば、中国カトリックの「四大才子」の一人と称された張伯達(上海教区司祭)は「愛国者」への協力を拒み、獄中で信仰に殉じた(Mc GRATH、2008年)。趙振亜(「愛国会」天津教区司教)は、「愛国会」成立直後の1957年8月15日の「聖母被昇天」ミサの説教の中で、「愛国会」に協力した自らの行為を「誤り」と認め、信徒に対して「赦し」を求めた(朱正、2022年)。また、信仰ゆえに刑務所や「労働改造農場」に収監された人々は、過酷な環境の中でもキリストに倣い、周囲の人々に対して愛徳の精神を示すことを忘れなかった。

彼らのこのような生き方は、キリストへの信仰を知らずに生きていた人々の心にキリストへの愛を呼び起こした。そして、少なからぬ人々が獄中などで洗礼によりキリストと結ばれた。のみならず、無神論者であるはずの共産党員がそれに続くこともあった。「反革命分子」であるカトリック司祭を取り調べる中でキリストへの愛に目覚め、司祭から密かに洗礼を受ける共産党員も少なくなかった(胡玫瑰、2020年)。

政権による「刻印」を拒んだ信仰者たちは、信仰ゆえに過酷な環境に直面せざるをえなかった。それにもかかわらず、彼らはキリストへの信仰にすべてを捧げ、キリストに倣い人々を愛する道を選んだ。そして、神への信仰と隣人愛という「胸の中に授けられた律法」を抱いて歩み続けたことにより、彼らは無神論の社会において「地の塩、世の光」となったのである。

【参考文献・論文】

胡玫瑰(Rose,Hu)『楽在苦中 (Joy inSuffering) 』DOLOROSA PRESS(NewYork)、2020年。
朱正『右伝:反右派闘争史(下)』香港城市大学出版社、2022年。
「中国人民政治協商会議共同綱領」(1949年9月29日採択)、『中国人民政治協商会議全国委員会』ホームページ。
Father W.aedan Mc Grath.PERSEVERANCE THROUGH FAITH:APRIEST’S PRISON STORY.Xlibris,2008.

中津俊樹
 なかつ・としき 宮城県仙台市出身。日本現代中国学会・アジア政経学会会員。専門は中国現代史。主要論文は「中華人民共和国建国期における『レジオマリエ』を巡る動向について」(『アジア経済』Vol.57,2016年9月)など。

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