バブル時代でさえ「暗い時代」だったんです。【聖書からよもやま話400】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今回で記念すべき400回を迎えました。しかし目指す1189章制覇にはまだようやく1/3です。これからもゆるゆるがんばります。引き続きおつきあいください。

今日は新約聖書、ローマ人への手紙の15章です。よろしくどうぞ。

ローマ人への手紙 15章14節

私の兄弟たちよ。あなたがた自身、善意にあふれ、あらゆる知識に満たされ、互いに訓戒し合うことができると、この私も確信しています。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

みんなが善意にあふれ、あらゆる知識に満たされ、互いに訓戒し合うことができる社会。理想的ですよね。現代社会はむしろこの反対のように思えます。悪意が飛び交い、間違った知識が横行し、互いに貶めあうような社会。現代とはなんと暗い時代でありましょうか。

いえ、しかし現代だけが特に暗い時代なわけではありません。パウロがこの手紙をあてたローマの教会も実際はこの現代社会のような暗い状況であったのだと思います。だからこそパウロは「皆さんにもきっと、今のよくない状況を脱して、理想の社会を構築できると確信していますよ」と手紙に書いているわけです。もともと理想の状態ができあがっているなら、「理想が実現すると信じていますよ」なんて誰も書きません。

「現代は暗い時代だ」なんてよく言われますけれど、僕は現代が他の時代に比べて特に暗いとは思いません。他の時代を観察してみれば、いつの時代も人々は「今は暗い時代だ」と言っているように思います。日本がこの世の春を謳歌したバブルの時代であっても、様々な殺人事件やら何やらが起こったり、冷戦があったり貿易摩擦もあったりして、人々は「今は暗い時代だ」と言っていました。だからたぶん(僕は他の時代を実際に生きたことはないので断言はできませんけれど)いつの時代も、その時代を「現実」として生きる当事者にとっては「暗い時代」なのだと思います。

なぜなら人間というのは常に良いニュースよりも悪いニュースを優先して求めるようにできているからです。良いニュースというのは逃してしまっても自分の身に不利益はありません。しかし悪いニュースは逃してしまったら自分の身に危険が迫ったり大きな不利益を被ったりする可能性があります。「今日はいい天気です」という天気予報を聞き逃しても困ることはまずありませんが、「今日は雨が降ります」という情報を聞き逃したらびしょ濡れになってしまうかもしれません。そんなわけで人間は、悪いニュースを優先して聞きたがり、放っておけばその結果、頭も心も悪いニュースで埋め尽くされてしまうんです。そして気分が暗くなり「世の中、悪いニュースばっかりだ。暗い時代だ」ということになってしまいます。

そしてそんな精神状態は、悪意や間違った情報や貶め合いが醸成されるには最高の環境です。つまり人間が本能的に行なってしまう「不幸探し」が本当に人間を不幸にしてしまうということです。パウロがここで言っている「理想」を実現するのは漠然とした遠い道のりのように感じるかもしれません。何をしていいかわからないかもしれません。しかし、一人ひとりが意識的に悪いニュースよりも、一日ひとつでも良いニュースを見つけてインプットすること、そこからパウロの「理想」への道は開けるのではないかと思います。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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