休刊は「危機的な現状を象徴」
5月半ばまでに意見集約 司教総会前の理事会へ
2024年3月号(1137号)を最後に休刊した『カトリック生活』の感謝号が3月11日、発行元であるドン・ボスコ社から定期購読者のみを対象に届けられた。歴代の執筆者ら30人以上が、同誌の思い出や編集部への感謝の思いなどをつづっている。2月末には「カトリック新聞」の休刊も発表され、いずれも戦前から長らく「カトリック」を冠してきた紙媒体が相次いで姿を消すことになる。メディア宣教は本来、カトリックの宣教師が福音宣教の要と位置づけてきた働きだったが、高齢化と人材不足という時代の荒波が、カトリック出版界にも暗い影を落としている。
デジタル全盛の時代に「潔い決断」「やむを得ない」とする声を伝え聞く一方、関係者の間で十分に検討された形跡は乏しく、「青天の霹靂」といった感も否めない。
この春、桜の聖母短期大学学長の任を終えた西内みなみさんは『カトリック生活』感謝号で、「日本のカトリックの灯が、また一つ、静かに消える」と寂しさを募らせた。「東北の、福島県という地方のカトリック学校に奉職する立場上、カトリック学校が次々と募集停止の決断をしていくことを毎年、知らされています。その地での使命が終わったのか、学校経営上やむを得ない選択なのか、学校種により事情は異なりますが、どの瞬間も、その事実を知ったときに、同じイメージが私の中には浮かびます」。事実、各地の修道会が相次いで事業を縮小、閉鎖し、カトリック学校からも撤退を余儀なくされ、シスターの老々介護が問題になっている。
『聖書と典礼』編集長で典礼学者の石井祥裕(よしひろ)さんは同号で、2025年3月での休刊を発表した『カトリック新聞』にも触れ、「『カトリック』という名がつく印刷媒体がなくなることは、カトリック出版事業史においても非常に大きな出来事といっていい」「メディアの一端にかかわる者としてこの事実を受けとめ、……メディアがなすべきことについて考え、できるかぎりでの新たな挑戦をしていきたい」と表明した。
「贖(あがな)いきれない損失」と題して「この出来事は、寂しさや残念な気持ちなど、惜別や感傷に終わらせてはなるまい」と苦言を呈したのは、イエズス会の平林冬樹神父。必要な援助ができなかった自らの責任にも触れた上で、次のように指摘した。
「極めて高い公共性を帯び」た媒体として、「その存廃は、運営主体の都合もさることながら、社会的な影響など諸般の事情を勘案して、慎重な上にも慎重に熟慮して決定すべき」「日本の教会全体における広報戦略、宣教方針の中で総合的に検討して、しかるべき」とし、「教会内での広域かつ永続的な雑誌・新聞などの媒体は、司教団の認可事業のはず」であり、「今回の決定は、教会当局で十分審議を尽くした上の決定であってほしい」「一世紀にわたって蓄積してきた編集の秘訣・秘伝を、あっさり失ってよいのか。『カトリック生活』の休刊は、日本のカトリック教会が直面する危機的な現状を象徴している」。
『カトリック生活』は1928年、チマッティ神父ほか6人の宣教師によって始められた『ドン・ボスコ』を前身とし、戦争で中断したものの、戦後3カ月で『からしだね』として再開、52年から現在の『カトリック生活』に改称し現在に至る。出版事業はサレジオ会日本管区にとっても根幹をなす事業だったはずだが、休刊という「苦渋の決断」は評議員6人の全会一致だったという。修道会の弱体化に伴い、「貧しい青少年のため」を優先した事業体の整理縮小の一環というのが表向きの理由。
2004年から20年にわたり携わってきた編集長の関谷義樹神父(サレジオ会司祭)は、編集部の意向が聞き入れられず、わずか半年の拙速な議論で決められたことに今も承服し切れていない。「インターネットやSNSには見たいものしか見ない、得たい情報のみを得、すぐに忘れていくという限界がある中で、『紙』の果たす役割はまだまだ残っているはず。特に宣教において必要だと思っていた」と悔しさを滲ませる。
感謝号の「編集後記」には、『カトリック生活』に改題された当時の編集長であったフェデリコ・バルバロ神父の言葉を引用して、次のように結んだ。「本誌はいかなる問題をも拒否せず、いかなる民族に属しているか、などは超越し、人間という大家族に属するすべての人に対して、また、すべての人の心に関心を寄せる。あらゆる人はキリストを知り、キリストに従うよう招かれているがゆえに。これは1952年度における方針ではなく、本誌の刊行される限り不変のものである」
他方「カトリック新聞」をめぐっては、新たな動きが生まれている。3月17日付の同紙面で「週刊『カトリック新聞』休刊の再考を」と訴えたのは、カトリック取手教会信徒で「カトリックの未来を考える会有志の会」代表の鈴木みどりさん。
「意見・異見・私見」の欄で鈴木さんは、単なる情報源に留まらない同紙のミッションとして、「インターネットを使わない多くの信徒にとっての祈りの場であり、信仰醸成の場、社会に生きるカトリック者としてのアイデンティティー(特質)確認の場、そして、全国の教会共同体の信徒がつながり、『きょうだい』としてキリストについていくためのとても貴重な『絆』」を挙げ、「日本のカトリック教会共同体を支えてきた精神的支柱としての宝物」と評した。
さらに、このような重大な決定が「多くの一般信徒の意見に耳を傾けることなく唐突に下されたことに、大きな疑問を抱かざるを得ない」とし、「カトリック者一人一人がその存在意義を再認識し、切羽詰まった危機感を共有し、自分の信仰の姿勢を真剣に問い直すことこそが、今求められている。……皆が知恵を出し合えば、この困難を乗り越える方法はきっと見つかるに違いない」と呼び掛けた。
「有志の会」は日本のカトリックの現状について「人的資源、財政面共に大きな危機にあることは事実」としつつ、7月に開かれる次回の司教総会に向けて、カトリック界への提言を行いたいとしてアンケートを作成。3月末の復活祭を前に、全国の教会、修道会、司教宛てに計1700通を発送した。5月半ばまでに意見を集約し、6月に行われる事前の理事会に結果を伝えたいとしている。「カトリックの『今と未来』 私の信仰の『今と未来』を考えるため」と題したアンケートは、同紙の休刊について「やむを得ない」「休刊しないでほしい」などの意見や、「福音宣教や日本の教会の未来のために必要なこと・自分がしていこうと思うこと」「財政改善のためのアイデア」「司祭や司教へのメッセージ」などを問うもの。
「これを機に神様が日本のカトリック者に警鐘を与えているのではないか。この危機を再生のきっかけに変えていくために、私たち一人ひとりのカトリック者に、今、何が求められているのかを真剣に考えることが必要」と鈴木さん。学生時代に洗礼を受け、「信仰は命がけ」と言われた意味が60代後半を迎えた今、ようやく分かってきた。一信徒が司教団の決定に異を唱えるというのは、日本のカトリック史上でもまれに見る出来事。たとえ結論が覆らなくても、この行動を起こしたこと自体に意味があり、応援してくれる司祭や修道者、同じ志をもつ仲間とともに「十字架を担う覚悟」だと力を込める。
アンケート用紙は、以下のURL(https://bit.ly/43VH379)からダウンロード可能。PDFデータを上書きしてメール(midorinikoniko423@gmail.com)、または印刷して記入の上、Fax(0297-78-8270)か郵送(〒302-0034 取手市戸頭219-1 カトリック取手教会気付)で、「カトリックの未来を考える有志の会」まで。問い合わせは同会(Tel 090-5572-9134)まで。
「カトリックの『今と未来』 私の信仰の『今と未来』を考えるため」のアンケート