教会よりも一人で信仰守りたい… 櫻井圀郎 【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】

Q.人間関係が煩わしく、教会に行くのは抵抗があります。一人で信仰生活を守る方法はありませんか?(20代・男性)

集団主義の日本社会の中にあって、教会では「一致」ということが強調され、嫌いでも愛の兄弟姉妹を演じようとする傾向があり、質問者のように、人間関係に煩わしさを感じたり、人間関係に困難を覚える人も多く、人間関係のつまずきから教会を離れた人の噂も時に耳にします。

考えてみれば、教会は、職場や同好会とは異なり、多種多様な人々が集う場なので、人間関係が複雑になりますから、そこに問題を抱える人が出てきても不思議ではありません。そもそも兄弟姉妹とは、合意で成立するものではなく、父が同じであるという結果の存在ですから、目的や意識、考えなどが異なっても当然です。それらの人々が共存できる環境づくりも必要でしょう。

1970年代の米国で、自分の車に乗ったままで映画を観るドライブインシアターが昼間は使われていないことに着目した牧師が、日曜日の午前中、この施設を借り、トラックにオルガンと説教壇を載せて礼拝を始めたところ、成功したという話があります。自分の車に乗ったままの礼拝なので、人と顔をあわせることもなく、挨拶をかわす必要すらなく、人間関係の煩わしさが嫌で教会を敬遠していた人々が集まってきたからです。

この教会は、大きな会堂が与えられた後も、ドライブイン礼拝もできるようにしてきましたが、解決策の一例でしょう。お尋ねのような「一人礼拝」はお勧めできませんが、教会出席を強制して肉体的・精神的障害となり、教会を離れることになるくらいなら、次善の策として、教会のない地域の住人や遠洋航路乗組員などと同様に、一人で礼拝を守ることも許されるでしょう。

さくらい・くにお 1947年、三重県生まれ。名古屋大学法学部卒業、同大学院博士課程(民法専攻)、東京基督神学校、米フラー神学大学大学院神学高等研究院(組織神学専攻)、高野山大学大学院(密教学専攻)を修了。日本長老教会神学教師、東京基督教大学特任教授。著書に『日本宣教と天皇制』『異教世界のキリスト教』(いずれもいのちのことば社)、『教会と宗教法人の法律』(キリスト新聞社)ほか多数。

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