2012年末に中国の新たな指導者となった習近平氏は2015年5月、新指導部による宗教政策としての「宗教中国化」という概念を初めて提起した。これ以降、中国共産党と政府による宗教活動への統制の強化が、「中国の特色ある」宗教政策として正当化されることとなった。
ただ、このような政策自体は目新しいものではなく、中華人民共和国の成立(1949年10月)直後の段階ですでに開始されていた。例えば、新国家の臨時憲法としての「中国人民政治協商会議共同綱領」(1949年9月29日)第5条では、「宗教、信仰の自由」が規定された。しかし、新国家の指導者となった毛沢東はそれから1年にも満たない1950年6月の段階で、「神が人間をつくったと主張する」「唯心論者」への圧迫を強化する姿勢を打ち出すに至った。まさにこの瞬間から、中国における宗教の「冬の時代」が始まった。
カトリック教会も当然、その例外ではあり得なかった。ただ、政権によるカトリック教会への圧迫は教会全体への物理的暴力ではなく、「愛国」を前面に押し出す形で進められた。これは、アヘン戦争(1840~1842年)以来、約1世紀に及んだ近代中国の苦難の歴史が新国家の成立によって終焉を迎えた状況下において、カトリック関係者を含む多くの中国人の共感を獲得し得る方法であった。Mary Qianによれば、中国人信徒の中には、新国家への支持表明を文書化した「愛国公約」への署名を希望する人々も存在していた。しかし、新国家が標榜する無神論は当然のことながら、キリスト教の信仰と相容れないものであった。
このような状況の中で教会が独自に作成した「愛国公約」は、「中国共産党」への「支持」という文言を含まないものとなった。信仰と中国人としての民族的自尊心、そして「愛国」を巡りカトリック教会が直面した問題はとりあえず、この方法により解決したかに見えた。だが、「愛国」を巡る教会内での温度差は、その後も形を変えて現れ続けた。そしてそれは、聖職者と信徒それぞれの間に「信仰」と「愛国」を巡る感情的な溝、さらには教会の分断という最悪の事態を出現させることとなった。これこそ、「愛国」を前面に押し出した新政権による、カトリック教会への圧迫の「成果」であった。それを加速したのが、「愛国的」聖職者と信徒による「三自革新(愛国)運動」であった。
そして、1957年7月に政府公認の「カトリック教会」としての「中国天主教愛国会」(「愛国会」)が成立したことにより、中国のカトリック教会は事実上「皇帝」、すなわち無神論的価値観を標榜する党と政権の管理下に置かれることとなった。それにより、「愛国会」の信徒も、本来のカトリック教会のあり方とは異なる形で信仰生活を送ることを余儀なくされるに至った。加えて、「プロレタリア文化大革命(1966~1976年)」に代表される、毛沢東体制下におけるたび重なる政治運動は、彼らにさらなる困難をもたらすこととなった。
しかし、このような状況下にあっても、彼らはキリストへの限りない愛と信仰を守り続けた。それは、「皇帝」すなわち権力が「愛国」の名のもとに推し進めたカトリック教会への圧迫をもってしても、中国のカトリック信徒を「皇帝のもの」に「改造」できなかったことの表れであったといえる。困難な状況のもとに置かれ続けた彼らは、まさにその信仰により、自らが「皇帝のもの」ではなく「神のもの」であることを示したのである。そして、「宗教中国化」という新たな試練の中にあっても、彼らは「神の民」として、キリストとの交わりのうちに歩み続けるのである。
【参考文献】
Mary Qian. THE VICTIMIZED. Bloomington,Indiana: Author house,2007.
中津俊樹
なかつ・としき 宮城県仙台市出身。日本現代中国学会・アジア政経学会会員。専門は中国現代史。主要論文は「中華人民共和国建国期における『レジオマリエ』を巡る動向について」(『アジア経済』Vol.57,2016年9月)など。