【トナリビトの怪】(3)世界民俗学とキリスト教 波勢邦生 『アーギュメンツ#3』

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 「販売は手売りのみ」という驚くべき方法ながら、多士済々な著者らによって話題を集めた批評誌『アーギュメンツ』完結から三年。日本語キリスト教の可能性を論じた同誌掲載「トナリビトの怪」を本紙にて全文公開する。(3/8回)

  1. 地球をつかむ神の手
  2. キリスト教と弱い主体
  3. 世界民俗学とキリスト教
  4. 怪談「ジーマー」
  5. 怪談の形式と啓示の形式
  6. ダニエル書における二つの謎
  7. 太平洋弧に立つイエス
  8. 遅れた解題とあとがき

世界民俗学とキリスト教

ぼくは、その方法を民俗学に求めたい。なぜなら民俗学は、その泰斗・柳田國男に象徴されるように素朴な「聞き書き」という方法で、人々の消えゆくことばを保存しようとしたからだ。民俗学者・常光徹は、このように語る。

私たちの目の前の生活がなぜこのようなあり方をしているのかという関心や疑問に対して、伝承という営みに注目しながら、その背後に横たわっている意味やしくみ、また、それがどのような関係性のなかに成立し機能しているのか、そして、現在に至るまでの移り変わりの姿、そこに込められた人びとの心意や知恵・技といった事柄を聞き書きなどの方法を用いて明らかにしていくのが民俗学だと考えています。(11)

また民俗学者・篠原徹は、民俗学を人文社会科学の各専門に細分化しても、なお残るもの、「雑」としか名付けることのできないものを扱えるのが民俗学だとした。

私はこの雑こそが民俗学だと思っている。文化・社会・歴史という集合から制度的に確立したものからの残余の集合を民俗学の領域であると考える。(12)

ほぼ近代化が進んだ現代では、口頭伝承世界のような土着の声は、雑や残余として扱われることになる 。しかし、近代化とキリスト教に直面した直後の柳田國男は、そうは考えなかった。彼は、近代化に際して取りこぼされていくもの、排除されるようなものに目をとめ、それらの可能性として、世界民俗学を構想していた (13)。

近代日本史学者・田澤晴子によれば、1910年代から30年代初頭にJ.G.フレイザー『金枝篇』の影響下で、柳田は欧州の「穀霊」信仰と日本の「田の神」「山の神」信仰に共通項をみて、民間信仰を取り込んだ普遍宗教の典型としてキリスト教を考えた。1933年の『桃太郎の誕生』おいては、「桃太郎」「瓜子織姫」など複数の日本昔話に言及しつつ「神人通婚」「童貞受胎の神話」の二つが、世界宗教以前の民間信仰の形式であるとした。

つまり柳田は、近代人のための卓越した宗教として輸入されたキリスト教を、欧州だけでなく日本にも存在する前近代的な民俗事象を吸収し、歴史的結果として世界化したものだと見透かした。

具体的には、母子神に世界共通性があるとして、日本の「固有信仰」、土着の声を見ていた。この場合の「固有信仰」は神道や日本神話にみられる、時と場所に応じた巫女の託宣を基礎にする多種多様な信仰の展開と温存、死後ではなく現世の幸福を課題とする特徴を意味する。

柳田はこの形で、日本語が世界の民俗学研究に独自の貢献を果たすと考えた。近代化が遅れたからこそ残存した民俗事象は、西洋中心の神話学や民俗学への発展的貢献の足がかりであった。またキリスト教を「文明」とし、前代の民間信仰を「野蛮」とした西欧社会の価値観に染まっていない日本人こそ「固有信仰」への客観性を持ち得ると考えた。

すなわち柳田は、迫り来る普遍性を主張する「西洋的なるもの」と、自分が立つ日本の「固有信仰」に共通項を見出した上で、キリスト教と近代を基礎づけ構成する歴史性を逆手にとって、日本的民俗事象が持つ歴史性から普遍性の意味を変換した。

結果、普遍そのものが相対化されて「固有信仰」は複数の普遍性の別名となる。当然、当時の「日本」観や「キリスト教」観そのものが現代では批判にさらされて然るべきである (14)。

しかし、ぼくは考える。彼の構想は、言語を解釈し、社会と歴史を記述して形成するプロテスタンティズム的主体の集合による普遍性ではなく、ただ消えゆく可変的な市井の声が反響し残響し続ける世界の可能性を示してはいないだろうか。

柳田が、固有信仰と民俗学で以て、キリスト教と近代化を包摂しようとしたその先には何があったのか。ぼくは柳田の世界民俗学の仔細の是非ではなく、それがはるかに眺望していた地平の向こうに興味があるのだ。

そこで柳田の薫陶を受け、折口信夫に師事した民俗学者・今野圓輔のことばを召喚したい。彼は「怪談」専門家だ。彼によれば怪談とは、近代社会において『ありうべからざるものを、実際に経験する、といった人間生活の不思議』である (15)。後ほど詳述するが、僕はこの「怪談」に、神の手から零れ落ちてしまったものの声が潜んでいると考えている。

米国プロテスタンティズムとハワイのカフナ、日本の近代化と固有信仰。ハワイと日本で衝突する西洋近代的自我と、弱い主体が和解する地点はないのだろうか。ぼくはここで沖縄の怪談を参照したいと思う。

なぜなら沖縄こそ、太平洋戦争という、日米がその近代化と「固有信仰」を賭けて衝突した戦場であり、結果、近代化を経たいまもなお戦争にまつわる「ありうべからざるもの」への想像力が残る土地だからである。

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※次回更新は6月8日(火)朝6時

11) 一般社人 日本民俗学会ホームページ、第三回「民俗学の魅力」(常光徹)2012年。http://www.fsjnet.jp/about_us/about_folklore_studies_3.html
12) 一般社人 日本民俗学会ホームページ、第1回「私にとっての民俗学」(篠原徹)2009年。http://www.fsjnet.jp/about_us/about_folklore_studies_1.html
この点、日本口承文芸学会(1977年・昭和52年設立)、説話・伝承学会(1982年・昭和57年設立)などの研究蓄積は広く知られ評価されるべきである。
13) 以下、田澤晴子『柳田国男における「固有信仰」と「世界民俗学」――キリスト教との関連から』に沿って論じた。
14) 田澤によれば、柳田の「固有信仰」論の政治性は、学問的に戦争を補強した面と同時に靖国神社を否定する側面もあった。もっとも田澤によれば、柳田の構想は1940年台前後に変化する。
15) 今野圓輔(1914-1982)『怪談 民俗学の立場から』(中央公論新社、2005)186頁。

波勢邦生

 はせ・くにお 1979年岡山生・キリスト新聞関西分室研究員/シナリオライター

【トナリビトの怪】(2)キリスト教と弱い主体 波勢邦生 『アーギュメンツ#3』

※初出:「トナリビトの怪」黒嵜想・仲山ひふみ共同編集『アーギュメンツ#3』、渋家、2018、pp.24~37

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