統一協会員への説得続け イエス・キリスト教団京都聖徒教会 船田武雄牧師 【再録】1988年11月19日

船田牧師はその日の午後もまた〝説得〟に出かけた。

 統一協会が問題視された1980年代当初から、キリスト教の伝道の傍ら、家族の要請を受けて信者の脱会・救出活動に奔走する牧師たちが教派を超えて存在していた。

 今年(一九八八年)十月三十日、韓国・京畿道竜仁郡で、約六千五百組に及ぶ統一協会の集団結婚式が行われ、日本から約一万人の男女が参加した。このように、親子の縁を断ち、家出し、統一協会に入信する若者は後を断たないが、今回は京都で統一協会員への説得活動を続けている船田武雄牧師(イエス・キリスト教団京都聖徒教会)を訪ね、その活動の様子や、一緒に生活をしている脱会者(統一協会を出て来た人たち)の声などを伺った。

脱会者と共に生活
悩む親らを見捨てられず

 イエス・キリスト教団京都聖徒教会の船田武雄牧師(六〇)は、福島県会津地方の河沼郡の出身。兄は戦前からのクリスチャンで、賀川豊彦の「神の国連動」の会津地方の集会に同行して記録をまとめたりしていたという。そんな兄の影響もあって、クリスマスなどの集会には出席していた。戦後になって教会に通うようになり、一九四八年の磐梯山の聖会で森山諭牧師に導かれクリスチャンに。戦時中投獄されていた牧師たちの説教に感動したという。

 「上からの納得が与えられたというんでしようか、目に見えるものが輝くようになりました。また伝道者になろうという思いがわいてきました」

 一九五八年に牧師になってから、「普通の牧師」として過ごしていたが、一九八三年十月の卓明煥(タク・ミョンファン)氏の集会を機に統一協会とかかわることになる。

 「子どもが統一協会に入っていて、どこにも相談に行く所がないとほうにくれた親の姿を目の前で見て、がく然としました」

 相談場所を探して、教会を転々としている親たちを見捨てられなかつたという。

 船田牧師が実際に行っている行動は、統一協会のために断絶してしまった親と子の間に入り、子どもたちへ説得活動をすることだ。統一協会の実体や現状を知っている者でなければ、有効な説得は出来ない。具体的な事例を挙げて説得をしている途中でも子どもたちは、あらゆる手段を使って統一協会と連絡をとろうとする。この連絡を統一協会側は重要事項として「ほう・れん・そう=(報告・連絡・相談)」と言っている。船田牧師は、「説得中の子どもに、ほう・れん・そうをするなと言っても聞きません。それを実力で阻止することは出来ませんし、彼らの身柄も、親や親族ではないので拘束することも出来ません。牧師が手助け出来る部分は限られています。親自身が、統一協会について真剣に勉強し、自分の子どもがどの程度のめり込んでいるのか、また子どもは被害者であるということと同時に、すでに加害者であるところまで理解する必要があります」と語る。

 子どもたちは、説得を受け入れた後も、三週間もウソをつきとおすなど価値観の混乱の中で、様々な葛藤(かっとう)を繰り返すという。船田牧師は、「まるで戦争が終わった時の日本のようです」と言う。

 船田牧師は、自宅と同所の教会で、統一協会を脱会してきた人たちと一緒に生活をしている。「真実の神を愛して生きる人生には、かつて統一協会にいたことすら何かの意味があるはず。後悔したり、傷ついたりすることのないよう、み言葉によって教育しなければなりません」

 船田牧師は、ここで彼らに社会復帰トレー二ングをしている。

 脱会者たちの感想は、「文(鮮明)氏にだまされたと思ったし、(彼が)むなしいことをしているかわいそうな人だという気もした」「教理ではイエスは失敗者で文氏が勝利者と教えられ、それを心から信じ四年間活動してきた。まちがいだとわかった時はショックだつたが、キリストを信じたので、ここで働いて、今でもだまされている人たちのために少しでも役に立ちたい」「文氏は私にとってメシアだったのに……本当に腹がたった」など。

 昨年の二月の教会総会で、京都聖徒教会は統一協会との取り組みを決議している。通りに面した教会の壁にかかっているたれ幕も、布の調達からひもをつけるところまですべて会員の手作り。

 「統一協会の理屈や構造は余りにも異常。少しでも多くの人に事実を知ってほしい。また教会全体の働きとしてでなければ、とても統けられる仕事ではありません」

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