Q.教会員に公平に接しようとしても、どうしても苦手な人がいます。どう対応すればよいでしょうか。(30代・牧師)
職場で働く人たちの間で、あるいは家庭や学校における子どもたちの間で、「わけへだてなく」ということが強調されるのは、だれにでも公平に接するということが実は極めて難しい課題であるからと思われます。
人間には、相性が良い・悪い、気が合う・合わない、という問題があって、この世に生きているかぎり心理の深層にそのことに関連する悩みを抱えていない人はいないようです。その問題をさらに進めていくと、人間は隣人を愛することができるのか、という問題に行き着いてしまいます。
人間の愛は愛するに値するものを愛そうとする愛です。しかし、神の愛は値を問うことをせず、むしろ最も弱いもの、最も小さなものに豊かに注がれる不思議な愛です。
神が、「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」と言われるとき、神は、愛したい人を愛するという人間の愛の本性に逆らって、隣人を愛しなさいと言われているに違いありません。本来、自分のために他人を愛することはできても、その人のためにその人を愛することのできない人間は、神の愛をいただくことによって、神の戒めに少しでも近づかせてくださいと祈るほかない存在であるように思われます。
しかし、愛することは知ることから始まります。苦手な人に関する知識と理解が増すならば、その人に寛容になる力が生まれてくるのではないでしょうか。また、他人の存在や言動が気になるのは、他人が自分とは異質な存在であるからではなく、むしろ、自分が気にする自分自身の弱点を相手も共有するからである場合が多いものです。
気になる相手の中に、自分自身の影を見ることができるならば、これまでより自由に相手に接することができるようになるのではないでしょうか。
教会員に公平に接しようと努力されている質問者の心は、時に志と異なることがあるとしても、教会員に理解されていくと思われます。
しらい・さちこ 青山学院大学文学部を卒業後、フルブライト交換留学生として渡米。アンドヴァー・ニュートン神学校、エール大学神学部卒業。東京いのちの電話主事、国立療養所多磨全生園カウンセラー、東京医科大学付属病院でHIVカウンセリングに従事した後、ルーテル学院大学大学院教授を経て同大名誉教授。臨床心理士、米国UCC教会牧師。