東日本大震災の翌年、米フラー神学校の協力によって始められた「東日本大震災国際神学シンポジウム」(青山学院宗教センター、お茶の水クリスチャン・センター、学生キリスト教友愛会、キリスト者学生会、キリスト全国災害ネット、東京基督教大学、日本福音同盟共催)が2月7日、オンラインで開催された。
第7回となる今回は「いかにしてもう一度立ち上がるか――これからの100年を見据えて」を主題に、神学者のアリスター・マクグラス氏(英オックスフォード大学教授)=写真上=が「回復と再生――災害に対するキリスト教的応答の考察」と題して主題講演したほか、森島豊(青山学院大学准教授)、吉田隆(神戸改革派神学校校長)、菊地功(カトリック東京大司教)の3氏が登壇した。
マクグラス氏はまず、災害をめぐる神学的議論に際し「神とこの世における苦しみの関係を考える知的な営みに陥ってしまうことがある」が、東日本大震災を単に、「キリスト教の枠組みの中で考えるだけでは短絡的」とし、深い感情の部分や自分自身に関わる問いとして捉えることの必要性を説いた。
また、自身が無神論者であったころ「世界はこうあるべき」という思い込みから、「悪や苦しみがこの世にあることは、神がいないとする証拠として十分だった」「あらゆる物事は理性的に整理して理解することができるという啓蒙主義の言説を受け入れていた」と回顧。しかし、この世界が欠陥品だと言うためには、その基準として比較できる「良い世界」が必要だが、実際には存在しない。「私たちはあるべき姿を知っているからこそ、この世界をより良くしていく歩みへと突き動かされていく」
同氏は科学者としての知見から、「地震や津波、感染症は単に根絶可能な破壊的な現象なのではなく、むしろ生命の誕生に不可欠なもの」とも述べ、「自然現象を倫理的な枠組みで捉えることはできない」「私たちは災害の被害者であると共に、そもそもその被害の程度を左右する立場にもある」と強調。さらに自然災害と信仰との関係性をめぐって、「キリスト教は、悲痛な経験をした後に人が自分の内面を再構築するための『外傷後成長』と呼ばれる枠組みを与えてくれる。それは単に立ち直るというだけでなく、人々がその経験を通して自分の人生について新しい意味を見出し、生きるための新しい力や、この世界と向き合う新しい視点を深めていくプロセスのこと」とし、特にイエスの十字架と復活が「外傷後成長」の好例であり、キリスト者は非現実的な期待が打ち砕かれたところから新しい考え方が生み出され、先の見えない中にあっても新しい視点と新しい確信を持つことができると述べた。
「〝死の陰の谷〟を歩む教会」と題して講演した吉田氏=写真下=は、被災地での経験を通して得られた恵みについて「3・11以後、教会堂という建物の中で被災者を待つのではなく、地元の教会と一緒に被災者のもとへ『降りて』いき、労苦や悲しみを共にした。主の行かれるところに私たちも行き、そこが教会になるという新しいあり方を震災によって教えられた。その中で、教派、宗教の違いを超えて新しい一致も生まれた」と振り返った。
また、「死を見つめることなしに喜びを伝えることはできない」とした上で、コロナ禍をめぐる混乱で抱いてきた違和感を吐露。「目に見えない放射性物質に怯えて暮らす日々をすでに味わいながら、『大丈夫』とふれ回っていたにもかかわらず、同じく目に見えないコロナ禍に至っては、まるで世界が終わるかのような報道と、それに翻弄される教会。もはや苦しみのない世の中はあり得ない。震災であろうとコロナ禍であろうと、突然災いが降りかかったように受け止めるべきではない。苦難の中を生きる教会のモデルを古代教会に見出し、『死の陰の谷』に降りていく生き方に倣うべきではないか」と訴えた。
当日の講演の模様はすべて特設サイト(https://theosym311.wixsite.com/ts311)から視聴ができる。過去のシンポジウムの記録とあわせて、書籍として出版される予定。