家族を残して、ひとりスコットランドのエディンバラに暮らしたことがあります。お城近くの大学の寮で1年間生活したのです。
クリスマスには、寮生たちは故郷に帰ります。帰国できない私は1人残され、わびしい時を過ごしました。家族のこと、特に重いぜんそくを病む幼い息子のことを案じる日々でした。
クリスマスの夜に、近くの教会の礼拝に出席しました。真夜中のクリスマス・イブ礼拝です。賛美歌の歌声に声を合わせ、説教を聴きながら、ふと、救い主イエスはぜんそくの息子を案じていてくれる、と思ったのです。心温まる体験でした。
心配な現実は変わらない。しかし、その現実を受け取る私自身の心が少し変えられました。救い主が私と共に、いえ私以上に、息子のことを心配していてくれる――そう思えて気持ちが楽になったのです。ささやかな「私のクリスマス」でした。
救い主イエスは、宿に空きがなくて、飼い葉桶に寝かされましたね(ルカによる福音書2:7参照)。その個所を佐藤研訳の聖書(岩波書店)は、「旅籠(はたご)の中に……居場所がなかった」と訳しています。この「居場所」という言葉が心に残っています。救い主イエスにとって、飼い葉桶が最初の「居場所」になったのですね。
エディンバラでの静かなクリスマスは、救い主が「私」という心細い者の中に「居場所」を見つけて臨んでくれた出来事ではないか、と思っています。今年のクリスマスはどうでしょう。
この秋、体調を崩しました。気力も衰え、しばらく無為に日を過ごして、情けない思いをしました。このような不甲斐ない者がクリスマスを喜び祝うことができるだろうか。心に客間を用意して救い主を迎える時なのに、フレイル状態の私には、主を迎える心の準備があるとは言えない。
けれどこの時、主イエスは「飼い葉桶」の救い主であることを、心に留めています。客間の用意がない者の中にも、いや用意のできない者にこそ、救い主は「居場所」を見つけて、温かく臨んでくださるのではないか――そんな期待をひそかに抱いているのです。
いま孤立して、困難に耐えているお一人おひとりに、救い主が温かく臨んでくださるように。
「恐れるな。私は、すべての民に与えられる大きな喜びを告げる」(ルカによる福音書2:10)
わたなべ・まさお 1937年甲府市生まれ。国際基督教大学中退。農村伝道神学校、南インド合同神学大学卒業。プリンストン神学校修了。農村伝道神学校教師、日本基督教団玉川教会函館教会、国分寺教会、青森戸山教会、南房教会の牧師を経て、2009年引退。以来、ハンセン病療養所多磨全生園の秋津教会と引退牧師夫妻のホーム「にじのいえ信愛荘」の礼拝説教を定期的に担当している。著書に『新たな旅立ちに向かう』『祈り――こころを高くあげよう』(いずれも日本キリスト教団出版局)、『老いて聖書に聴く』(キリスト新聞社)、『旅装を整える――渡辺正男説教集』(私家版)ほか。