Q.教会の近所から礼拝での賛美歌がうるさいと苦情がありました。よりよい近所付き合いの方法を教えてください。(50代・教会役員)
「娘の弾くピアノはミュージックだが、隣のピアノは騒音だ!」人間って、総じてこんなものです。自分ではよいと思っていても、他人にとってはそうでない場合があるのです。
「礼拝での賛美歌がうるさいと、ご近所から苦情があった」とのことですが、教会の皆さんは神さまを賛美するために大きな声で賛美歌を歌っておられるのでしょうが、近所の方にとっては「せっかくの日曜日なのに、朝早くからうるさい」ということなのでしょう。
でも、聖書の時代からこのようなことはあったようです。パウロは「神の霊によって語る人は、誰も『イエスは呪われよ』とは言わず、また、聖霊によらなければ、誰も『イエスは主である』と言うことはできません」(コリントの信徒への手紙一12:3)と書いていますが、教会の礼拝中に信徒たちが大きな声で賛美歌を歌っていたところ、隣の家から「うるさい! イエスなどのろわれよ」と怒鳴られてしまった。しかし、信徒たちも負けずに「イエスは主である」と怒鳴り返したと、ある人は想像しています。本当かどうかはわかりませんが、教会も昔からご近所づきあいは難しかったということでしょう。
さて、「よりよい近所付き合い」とのことですが、マニュアルなどありません。要は、教会もご近所の人々と一緒に生活しているのだということを自覚することではないでしょうか。それに一番近い隣人であるご近所の人々に仕えていくことが教会の働きでしょう。ある牧師は新しく教会に赴任したその日から毎朝教会の前の道を掃除したのですが、道行く人々と朝のあいさつを交わしながら、隣り近所の家の前の道も掃除したそうです。それに文句を言う人はひとりもいませんでした。
ところで私はと言えば、ご近所と仲良くするために毎朝「主はイエスなり」、いや違った「しゅ(酒)はイエスなり」とお隣に向かって叫んでいます。
あぁ、言い忘れましたが、教会の隣は「造り酒屋」さんなのです。
*本稿は既刊シリーズには未収録のQ&Aです。
かんばやし・じゅんいちろう 1940年、大阪生まれ。同志社大学神学部卒業。日本基督教団早稲田教会、浪花教会、吾妻教会、松山教会、江古田教会の牧師を歴任。著書に『なろうとして、なれない時』(現代社会思想社)、『引き算で生きてみませんか』(YMCA出版)、『人生いつも迷い道』(コイノニア社)、『なみだ流したその後で』(キリスト新聞社)、共著に『心に残るE話』(日本キリスト教団出版局)、『教会では聞けない「21世紀」信仰問答』(キリスト新聞社)など。