【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】 洗礼を受けるタイミングが見つからない 塩谷直也

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Q.「挫折から立ち直った」とか「救いの確信を得た」というような信仰体験がないので、洗礼を受けるべきタイミングを見出せずに悩んでいます。(20代・男性)

幼なじみの友だちと、先日街中でばったり会いました。しばらく立ち話をして別れたのですが、その後ふと思いました。「一体いつから私は彼と友だちになったのだろうか?」子どものころ、いつの間にか気がつけば彼はそばにいました。いつから、どこから、彼が私の友だちとなったか定かではありません。

一方、牧師になってから知り合った、別の友人がいます。最初は単なる知人でしたが、共に働く中で、彼という人物を知り、信頼し、尊敬できるようになり、今では家族共々親しくしています。彼の場合、いつから、どうして友だちになったか、比較的明確に説明することができます。

友だちになった理由、具体的体験、時期を明確に説明できない友と、説明できる友がいます。しかし、どちらもかけがえのない存在であることは言うまでもありません。これと同様のことが神さまとの関係でも言えないでしょうか。まるで幼なじみのように、気がつけば何となく神様がそばにいたと感じる人もいます。また人生のある時期に「挫折から立ち直る」とか「救いの確信を得た」などの具体的な体験によって神さまと出会い、急激に親しくなる人もいます。しかしどちらであっても、その人にとって神さまが「かけがえのない存在」であることに変わりはありません。

人に語れるような信仰体験が、洗礼を受けるタイミングを生み出すのではありません。「私はあなたがたを友と呼んだ」(ヨハネ15:15)とおっしゃった主イエスと、これからも最も親しい友だちでいたいと素直に願える時、そこに洗礼の道が開かれます。

多くの夫婦は、ドラマティックな出会いで恋に落ちたから結婚式を挙げたのではないでしょう。出会いの形はどうあれ2人で生涯過ごしたいと願うから結ばれたのです。同じくあなたも体験はどうあれ、永遠にイエスと共にいたいと祈れるなら、今、受洗の時です。

しおたに・なおや 青山学院大学宗教部長、法学部教授。国際基督教大学教養学部卒業、東京神学大学大学院修士課程修了。大学で教鞭をとる傍ら、社会的な活動として、満期釈放を迎える受刑者への社会生活を送るための教育指導をはじめ、府中刑務所の教誨師として月1度ほど、受刑者への面談や講話を行う経験を持つ。著書に『忘れ物のぬくもり――聖書に学ぶ日々』(女子パウロ会)、青山学院大学の人気授業「キリスト教概論・Q&A」が書籍化された『なんか気分が晴れる言葉をください――聖書が教えてくれる50の生きる知恵』(保育社)など多数。

【既刊】『教会では聞けない「21世紀」信仰問答I -まずは基礎編』 上林順一郎監修

 






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