エキュメニカルは出会いの中でこそ シリーズ「あの頃、私はエキュかった!」④ 【Road to えきゅぷろ2022】

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正直、この原稿を書いている今になっても、「エキュメニカル」というのはよく分かりません。教派を超えて協力関係を築き、相互理解によって一致と多様性の尊重を実現していく……といったイメージを私は持っていました。「えきゅぷろ!」に関わる前も、現在も。

しかし実際にそれをやろうとすると、結構たいへんです。「えきゅぷろ!」の会議の中でも、例えば礼拝の内容について「こういうものだから受け入れてください」といった発言や、「○○派には理解できないだろう」なんて発言もあったりします。当時はそういった発言に対し反発を覚えたり、批判したくなったり、また「これをエキュメニカルと言えるのか?」と疑問を感じることもありました。

しかし今振り返ると、声に出さずとも心の中で、自分もそのような感覚を抱えていたかもしれないと思うのです。自分の「当たり前」を「どうせ理解してもらえない」と、「大切にしているもの」を伝えること、相互理解を目指すことをあきらめてしまっていたのだと今になって気づきます。

エキュメニカルの場面では「一致」と「多様性」がキーワードになってくると思いますが、どちらも簡単なものではないし、その両立には困難を覚えるでしょう。ただ、できることは確かにあります。

「えきゅぷろ!」の良さは、そのハードルの低さにあると思います。「えきゅぷろ!」のメンバーは牧会者でもなければ専門家でもありません。出会いから友人関係が生まれ、それが相互理解へとつながってきました。いまだ途上にはありますが、「えきゅぷろ!」のエキュメニカルな部分は「出会い」からスタートしているのです。

エキュメニカルは、神学的に知識のある人だけのものではありません。キリストにつながる一人ひとりが、その可能性を持っているのです。それぞれの「大切にしているもの」を多様性の中で実現していく、手探りではありますが、今後もそれを求めていきたいと思います。(スタッフ・三浦洋人)

【Road to えきゅぷろ2022】 シリーズ「あの頃、私はエキュかった!」③「えきゅぷろ!」的主の祈り 2021年7月21日

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