2016年11月から4年間にわたり、私のお寺ではアイドルプロデュースというきわめて異色の教化活動を手掛けていた。アイドルグループの平均活動年数が2~3年と言われるから、4年も続けばたいしたもの――であるはずだが、「お寺×アイドル」への世間からの眼差しが温かくなることはなかった。デビュー前から活動の終盤までずっと、私のもとには「アイドル活動など、お寺にあるまじき……」との手紙や電話が繰り返し寄せられた。
もちろん、プロデュースしていたのは単なるアイドルではない。あくまでお寺文化を広めるためのコンセプトアイドルである。浄土系アイドル「てら*ぱるむす」という名のグループに在籍していた女性たちは、観音菩薩や勢至菩薩などの化身として振る舞った。歌にも仏教的メッセージを込めた。お寺文化に親しんでもらうために、ライブハウスに木魚を持ち込んだり、ライブ中に仏像を彫るパフォーマンスをしたりもした。ファンは次第にライブ前にはライブハウス近隣のお寺巡りをするようになった。
しかし、アイドル本人たちが真剣に活動しようとするほど、正義感をかざして一生懸命に出る杭を打とうとする人が現れる。実に嫌いなこの国の風習である。批判のために心が折れそうになっている楽屋裏など、見ていてはらはらした。幸いにして、アイドル本人たちは批判を乗り越え、かえって「お寺はいかにあるべきか」を真剣に考えるようになった。
さて、長年お寺の中で暮らしてきた私は、お堂の修理のような「ものづくり」や、地域の魅力を掘り起こしていく「まちづくり」などにはたびたび携わってきた。しかし、生身の人間を育成するという「ひとづくり」を中心に据えた事業は初めてだった。
以前にも一度書いたことがあるが、近年のアイドル文化の主流は、人気グループAKB48が掲げるような「会いに行けるアイドル」である。私のお寺でも、アイドルとファンは親しく交流していた。ライブに足を運んでくれたファンは、終了後の物販でアイドルたちに積極的に〝お布施〟をする。そのおかげで新しい曲が作られる。ダンスや歌のレッスンにも通える。ステージ衣装も新しくなる。輝きを増していくアイドルを見て、ますます〝お布施〟したいという熱量が増す。「ひとづくり」には、「ものづくり」や「まちづくり」には代えがたい独特の魅力があると知った。
アイドルの成長する姿を見ながら、私はふと思い出したことがある。ひと昔前は、お寺の子どもが小学校に入ると檀家さんがランドセルや勉強部屋のために寄付をしたという話をしばしば聞いた。その裏にあったのは、宗教への期待感であろう。宗教こそ私たち人間を成長させてくれる「ひとづくり」の本場である。したがって、未来の宗教を担うお寺の子には、立派に育ってほしいと願ったわけである。
いまやどうか。「ひとづくり」への熱量は、アイドル界隈と宗教界隈で明らかに逆転している。ご年配の檀家さんに寄付を求めれば、ともすれば煙たがられる。しかし、財力に余裕があるわけではないアイドルファンの若い男性でも、背伸びしてなけなしのお金を寄付してくれる。身を削ったお金をもらっているからこそ、アイドルもがんばろうと心に期する。この「ひとづくり」の厳粛な楽しみに、私は目を開かされた。「お寺×アイドル」を批判するよりも、失われた「ひとづくり」の感覚を宗教が取り戻すことこそ、喫緊の課題である。
池口龍法(浄土宗龍岸寺住職)
いけぐち・りゅうほう 1980年、兵庫県生まれ。京都大学大学院中退後、知恩院に奉職。2009年に超宗派の若手僧侶を中心に「フリースタイルな僧侶たち」を発足させ代表に就任、フリーマガジンの発行などに取り組む(~15年3月)。著書に『お寺に行こう! 坊主が選んだ「寺」の処方箋』(講談社)/趣味:クラシック音楽