【映画評】 『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』 沈黙を破ること、その代償と得がたき果実

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目に映る現実は、内心の真実をしばしば裏切る。カトリック司祭による児童への性的虐待を描く実話ベースの本作は、幼少期に受けた心の傷と向き合う3人の中年男性が主人公となる。すでに家庭と社会的地位を築いた男たちが数十年前の虐待を告発する過程では、予想外の葛藤と周囲からの反発とが次々に押し寄せる。親や親類から「そんな昔のことをほじくり返してどうする」「お前は何でも混乱させる」と責められ、信頼を寄せ相談した司教さえ教会の組織防衛へと動き始め、告発者のほうが孤立しだす展開は胸締めつけられる。

本作監督は、現代フランス映画を牽引する名匠フランソワ・オゾンである。2002年にカトリーヌ・ドヌーヴほか綺羅星のごとき女優陣が演じた『8人の女たち』で一世を風靡して以降の彼は、練り上げられたプロットと映像美により新作ごと独自の作品世界を深化させてきた。その名匠が固有の幻惑的な作風を封じてまで質実に映画化した本作だが、製作段階ではフランス国内の多くの教会からロケーション使用を禁じられ、ベルギーやルクセンブルクで撮影したという。またあろうことか、当該の被告プレナ神父から上映差し止め訴訟を起こされてもいる。これらが示唆するものは考えるほどに重い。

映画中盤で、登場人物の1人は語る。「主題は〝赦し〟ですね」と。しかし老いたプレナ神父の、犯した過ちへの無自覚さも露わな態度に直面した1人目の主人公アレクサンドルが陥る苦悶は、赦せるか否か、すなわち個人の内面へなど到底回収し得ないほどに深い。この回収し得なさを、アレクサンドルとは異なる被害者男性を新たに中盤の主人公へ据えることで表現し切るフランソワ・オゾンの手つきは唸らされる。アレクサンドルの勇気と2人目の主人公フランソワの奮起があってこそ、傷ゆえの脆さ弱さを抱え人生をただ耐え忍ぶのみだった3人目の主人公エマニュエルは立ち上がれた。そのように心の連帯は描かれる。また監督の意図に十全と応える役者たちの、絶えず両義的な表情演技は終幕まで緊張感を途切らせない。かつて神父の罪を看過した母へと宛てた手紙にアレクサンドルは記す。「恥や恐れと決別する時がきた」

ジャーナリズムの本質探る 神父の性的虐待を追う米紙調査報道 映画『スポットライト 世紀のスクープ』 2016年3月26日

神父による児童への性的虐待を扱う映画としては、4年前日本公開の『スポットライト 世紀のスクープ』も話題となった。こちらはハリウッドスター演じるジャーナリストが、ローマ教会のもつ隠蔽体質を鋭くあぶり出す過程に主眼があり、明るみに出た事実の想像を絶する被害規模が物語の衝撃を裏付けていた。米国内で起訴された神父のみでも6千人に及ぶ圧巻の終幕へ向け、一気呵成に突進する『スポットライト~』を大向こうに回したフランソワ・オゾンの戦略、それは他の誰でもないこの己への回帰と言える。救いの道たるべき信仰の場、神の家に裏切られたと感じたあと、自己はどのようにして生きられるか。

映画の終盤、最後の主人公エマニュエルの妻が、自身も幼少時に性的虐待を受けていたと夫へ打ち明ける。しかし加害者はもう死んでしまったし、誰も悲しませたくないから何も言わずに生きてきたと涙する。神懸かり的なフランソワ・オゾンの鬼才がここでほとばしる。エマニュエルはこの場面で何も言わない。弱々しく震える瞳はこのとき静止し、強さと優しさを宿らせ妻を見つめる。神父の小児性愛など遥かに超えた真実こそ本当のテーマであることが、こうしてほのめかされる。本物の表現は、目に見える表層をむしろ裏切る。(ライター 藤本徹)

7月17日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開。

『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』
“Grâce à Dieu” “By the Grace of God”
監督・脚本:フランソワ・オゾン
出演:メルヴィル・プポー、ドゥニ・メノーシェほか
2019年/フランス/2時間17分/カラー
配給:キノフィルムズ/東京テアトル G
公式サイト:https://graceofgod-movie.com/

©2018-MANDARIN PRODUCTION-FOZ-MARS FILMS–France 2 CINÉMA–PLAYTIMEPRODUCTION-SCOPE

信仰否定せず対話で事件明るみに 映画「スポットライト」のR・マクアダムス氏来日 2016年5月7日

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