幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。
ルカ1章76節(参照箇所同書1:67〜80)
洗礼者ヨハネの父ザカリアがわが子の使命について語った預言です。彼は救い主の誕生に先立つこと、六ヶ月前に生まれました。やがてヨハネは成長の後、ヨルダン川に現れ、人々に悔い改めを迫ると共に、洗礼を施し、人々が期待するメシアがやってくると預言をするのです(3章15節以下)。
イエスもまた大勢の群衆の一人としてヨハネのもとに来て、洗礼を受けるのです。ヨハネが洗礼を授けたのですから、彼が主人公のように見えます。しかし彼は、それを否定して「わたしはその方の履物のひもを解く値打ちもない」(3章16節)と言うのでした。ヨハネの使命は、大勢の中の一人としてやっておいでになる、救い主を指し示すことにありました。
ここには伝道者すべての姿勢に通じるところがあります。伝道とは、神を正しく問う事を教えることであるとある神学者が言います。伝道は神について説明することではないのです。人間は神を代弁する力は持ち合わせていないのです。ヨハネは、ひたすらこの方こそ、救い主であると人々に指差しました。それによって群衆もまた、その指が差す方向に救い主を見るのです。