あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。
フィリピの信徒への手紙1章6節(参照箇所同書1:3〜11)
フィリピの信徒への手紙は、獄中で書いたので獄中書簡と呼ばれています。彼は、フィリピの教会の好意に感謝と喜びをもってとりなしの祈りを捧げたのでした。
パウロはフィリピの人たちが、初めてパウロによって福音を受け入れ、以来いろいろなことはあるにせよ、とにかく信仰を維持していることは喜びでした(4〜5節)。彼はフィリピの人たちが福音を受け入れ、信仰者としてのわざが終末の日には完成するようにと祈るのです。
終末の日というと恐ろしい審きの日であって、恐怖心をそそるような説き方をするカルト教団もありますが、終末の日は、地上のことには付き物のあいまいさ、不確実、未完成のことに決着がつき、完成する日であることは聖書をよく読めば分かることです。パウロは、終末の日をイエス・キリストの日と言い、究極のお方であるキリストが来て、完成させてくださる日としています。
地上において起ることは、たとえ素晴らしい信仰のわざであってもなお未完了のものを残します。ひらたく言えば、「これでよいのか」という問いが残るのです。その意味で究極の完成者キリストの日がなければならなりません。