「それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです。
エフェソの信徒への手紙5章31〜32節(参照箇所同書5:21〜33)
最近でこそ、いろいろな結婚形態の是非が取り沙汰されていますが、本質においては今も昔も変りはなく、いわばだれにとっても自然の営みです。
自然のことといいながら、結婚は不思議な神秘のベールに包まれているものです。よくよく考えてこの人と結婚をしようと思ったはずなのに、なぜこの人でなければならないか、よく分かりません。だれでもよいというわけにはいきません。しかも最後の決断は、エイヤッとジャンプをするようなものです。結婚の組み合わせも不思議です。結婚は世界に一つだけの組み合わせで成り立っています。
パウロは、「わたしは、キリストと教会について述べているのです」と言い、結婚が持つ神秘を信仰の世界に求めました。結婚はキリストと教会の関係であると言います。極めて社会的生物的である結婚という世界に、信仰生活の中枢とでもいうべきキリストと教会の関係を見るということは、結婚の神秘性が不思議というだけに止まらず、結婚生活と信仰の生活は切り離して考えるべきことでないことを意味するものです。それは信仰の世界は、同時に社会的生物的世界のものでもあるということです。