天に輝くあなたの威光をたたえます、幼子、乳飲み子の口によって。
詩編8編2〜3節(参考箇所詩編8編2〜10節)
お母さんの背中に負われた小さな子が天空にかかる月を見て言います。「ねぇ、お母さん、どうしてお月さまはあるの」。お母さんは答えます。「バカね、そんなことを聞くんじゃないの。あるからあるの。大きくなったら分かるから」。でも大きくなっても分かりません。
人間は、知恵を発達させ、この世界で考えて分からないものはないと思うようになりました。分からないことがあれば、それはこれから人の知恵が発達して分かるようになる、そう信じてきました。それが今日の文明を構築し、その中で人は物事の考え方や価値観を養ってきました。考えて分かること、目で見て実証できることが真実であると固く信じて疑いません。そのような人間の知恵が見失っていること、それは「存在の理由」です。だから背中の幼子が「なぜ、お月さまがあるの」と尋ねると「あるからある」とは答えても「なぜ」には答えがないのです。もちろんどうして月があるかという生成の過程は実証的に説明することができます。でも月がなぜあるのかには沈黙をせざるを得ません。
「なぜ、そこに存在するのか」という答えは人間にはなくてならないのです。天地の造り主である、神の栄光を仰ぎ見るために。