主よ、わたしの言葉に耳を傾け、つぶやきを聞き分けてください。
詩編5編2節(参考箇所詩編5編2〜4節)
神への祈りは、常に感謝と讃美の言葉で綴らねばならないのでしょうか。人はときに辛い思いをもって今日を生きねばならないこともありましょう。朝目覚めると今日一日の重苦しさを体に感じ、夜には、いっそ明日の目覚めがないほうがよいのにと思いつつ床に就くことも珍しくありません。
そのようなとき、口から出る祈りが感謝と讃美にあふれるとはとても思えません。むしろ愚痴と嘆きではありませんか。たとえ感謝の言葉が洩れたとしてもしらじらしい思いが付き纏うでしょう。
詩編5編は嘆きの歌といわれます。朝目覚める毎に、この詩編作者はつぶやきが口について出るからです。これを不信仰というのでしょうか。これを不信仰というなら、口先だけの感謝と讃美の方がもっと不信仰といわねばなりません。作者は、神が「つぶやきを聞き分けてくださる」お方であると知っています。つぶやきは聞かないように、別にしてくださいという意味ではありません。つぶやきだけを聞いてくださいといっているのです。神はつぶやきを聞いてくださいます。神に向かって、つぶやくことができる信仰をもっている人は幸いです。神は本音を聞いてくださるお方であることを知っているからです。