「なぜ生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにおられない」
ルカ24章5節(参考聖書箇所同書24章4ー12節) 主の葬りの墓に赴いた婦人たちに天使が現れて言った言葉です。天使は主が生きておられると言うのです。復活信仰の中心メッセー
ジはこれをおいて他にありませんす。この信仰がなければ、キリスト教信仰は今日あり得ないでしょうし、また教会は命を失います。生けるキリストは、この世を働き場とされる、これがわたしたちの復活信仰であって、この世に生きることを輝かしいものにする根源です。 主が生きておいでになるということは、考えても分かりません。もし考えて分かるようなら、分かっただけの信仰の持ち主でしかありません。それでは頭の中の信仰であり、わたしの中での知的作業にすぎません。分からないからこそ、永遠であり、究極であるキリストにわたしが結ばれていることを真実とする信仰が生まれるのです。 主の復活を信じる信仰は、ひたすら驚きと恐れを引き起こすのみです。聖書の中に登場する、主の復活の証人たちの反応はそうでした。逆に言えば、驚きと恐れのない信仰には、人の知恵が働くかもしれませんが、神は働いておいでになりません。