指導者に諫言するよりも民に諫言する方が大変【聖書からよもやま話385】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、哀歌の2章です。よろしくどうぞ。

哀歌 2章14節

あなたの預言者たちは、あなたについて、
むなしい、ごまかしの幻を見た。
あなたの咎を暴いて、
あなたを元どおりにしようとはせず、
あなたについて、むなしい宣告と、
惑わすことばの幻を見た。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

神様は愛するイスラエルの国を滅ぼしました。イスラエルの民が神様の言いつけを守ろうとしなかったからです。それで神様は愛しながらもイスラエルに厳しい罰を与えました。まさに「泣いて馬謖を斬る」です。神様の心もさぞ傷んだことでしょう。

そんなことになってしまった原因として、聖書は偽預言者たちを挙げています。彼らは耳障りのいい、無責任なことばかりを言って民の堕落を放置したばかりか助長させました。人々の咎を暴いて元どおりにしようとすることが預言者の一つの仕事ですが、彼らはそれをしませんでした。それで民の堕落にはブレーキが効かなくなって、とことんまでひどい結末を迎えることになってしまったのでした。

現代において「咎を暴いて元どおりにする」という機能を持つのはマスメディアかと思います。もちろんそれは預言者とはまったく違うものですけれども。今のメディアは「咎を暴いて元どおりにする」ことができているでしょうか。確かに、政府与党の打ち出す政策や法案について、あるいは芸能人や有名人に対して、彼らはそれを行っているように見えます。しかし一方で、一般大衆に向けてはそれをまったく行っていないように見えます。メディアが大衆に向けて言うことは簡単に言えば「あなたたちは素晴らしい。まちがっていない。ありのままでいい。悪いのは政府であってあなたたちではない」ばかりです。
本当にそれでいいのか。と思わされます。日本は選挙によって指導者が決まる、民主主義の国ですから、指導者の咎をいくら暴いても民の咎を暴かなくては根本の解決にはなりません。指導者は日本においては民の代表ですから。

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UnsplashHasan Almasiが撮影した写真

たしかにメディアが大衆に向かって「あなたたちのこういう考え方とか行動とか、よくないよ!改めた方がいいよ!」なんて言い出したら、大きな反発を生み、新聞社やテレビ局には抗議が殺到することでしょう。でもそれを恐れたら「預言者」の役割は果たせないんです。

つまり、聖書の時代の預言者は、それほど大変な仕事だったということです。この哀歌の著者であるエレミヤは預言者としてまっすぐに「あなたたちのこういう考え方とか行動とか、よくないよ!あらためた方がいいよ!」と人々に告げ知らせ、そして人々から非難を浴び、嫌われました。そして大いに悲しみ、苦しみました。それだけの悲しみと苦しみを背負う覚悟が、預言者には必要だったんです。預言者がその悲しみや苦しみを避けるなら、「あなたたちはそのままでいい。そのままで素晴らしい」と耳障りの良いことを言うしかなくなります。そして偽預言者となり、やがては国の滅亡を招くことになってしまいます。

僕はメディア批判をしたいのではありません。むしろメディアってちゃんとやろうとすると恐ろしく大変な仕事だな、というのを感じています。このクリスチャンプレスも小さいとは言え一つのメディアではありますから、その重みを改めて自覚しなければならないなと思っているところです。そしてそれを実際に背負って生きたエレミヤたち預言者に対して大きな敬意と感謝をしめすところです。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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