主の御名をあがめます。
皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、箴言の19章です。よろしくどうぞ。
箴言 19章3節
人の愚かさは自らの道を滅ぼす。
その心は主に向かって激しく怒る。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
愚かさって一言で言いますけど、実はその中には色々な要素が内包されています。知識が足りないことも愚かさでしょうし、論理構成がおかしくなってしまうことも愚かさです。的外れなのも愚かさなら、傲慢になってしまうのもまた愚かさです。蛮勇も愚かですが臆病もまた愚かです。このように数えれば、人間は数え切れないほどの愚かさとともに生きています。そんな数多の愚かさに共通することは、それが「みずからの道」を滅ぼすということです。そして、聖書においてまずそれらの愚かさの筆頭にあげられるのは、「神様を無視すること」です。「主を恐れることは知識の初め。愚か者は知恵と訓戒を蔑む(箴言1:7)」とありますから。
人間はその愚かさによって、自らの道を滅ぼしてしまいます。神様を無視することによって、自らの道を滅ぼしてしまいます。しかしその時、人間は神様に向かって怒るのです。「神様、どうしてくれるんですか!!」と。それまでさんざん神様を無視してきたくせに、それで失敗や挫折に至ると「神様、あなたのせいです」と怒るんです。なんと理不尽なことでしょう。

UnsplashのPriscilla Du Preezが撮影した写真
学校の先生が「勉強をしなさい」と言ってくれた言葉をずっと無視して遊び呆けていたくせに、いざ受験に失敗してみたら「先生が悪い!」と言いだすようなものです。医者に「お酒は控えてくださいね」と言われたのをずっと無視して飲み続けていたのに、いざそれで病気になったら「医者が悪い!ヤブ医者め!」と言いだすようなものです。
それはあまりに理不尽な怒りです。でもよく胸に手をあてて思い返してみれば、僕も同じようなことを多々しています。人に対しても神様に対しても。自分で神様や祈りの優先順位を下げていたくせに、困った時には「神様、どうして僕のことを優先してくれないんですか!?」と問うてしまうようなことがあります。
人間は、もちろん自分も、そういう理不尽な怒りを抱きやすい者なのだということを、まず自覚することが、そこから抜け出す第一歩なのかと思います。神様に怒る前に、自分の在り方を再吟味してみることが大切なのかと思います。
それではまた明日。
主にありて。
MAROでした。
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MARO 1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。 10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。
著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)2022年3月15日発売。