失くしたものが返ってくると、より大切に思えます。【聖書からよもやま話205】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、   エレミヤ書の39章です。それではよろしくどうぞ。

◆エレミヤ書 39章18節

わたしは必ずあなたを助け出す。あなたは剣に倒れず、あなたのいのちは戦勝品としてあなたのものになる。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

命って「自分のものだ」と思いがちです。でもこの聖句を読んだら「あ、自分のものじゃなくて戦勝品なのか」と思わされました。持っていて当たり前、守られて当たり前のものではないんですね、命って。

敵に一度奪われてしまった宝物を奪い返して戦勝品としてもとの場所に返す。僕たちの命も同じようなもので、罪に一度奪われてしまったものを、神様が奪い返して僕たちのもとに返してくださるわけです。つまり洗礼を受けてクリスチャンになるということは、罪の軍勢に奪われてしまっていたこの命を、神様から「取り返してきたから、もう奪われてはダメだぞ!」と言われながら受け取るようなものなんですね。
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同じものであっても、一度失われたものが返ってくると、もともとよりもそれを大切に思えるものです。子どものころ、遊んでいるうちに失くしてしまってガッカリしていたオモチャが、タンスの裏なんかから見つかると、それ以前よりもとても愛しく大切に思ったものでした。命もまた同じように、一度奪われたものが返ってきたのだ、と思ったらより一層大切に思えるのじゃないかと思います。そんな風に、命も心も大切にしていきたいと思います。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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