12月15日 イザヤ9章5節

ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
イザヤ9章5節(参照箇所同書9:1〜6)

幼子イエスの降誕を預言する有名なイザヤの言葉です。もともとこの預言は、前八世紀、アッシリアの侵略に対して、王なるメシアを起こし、これを討ち滅ぼすことを告げたものです。そのため王として生まれる、幼子は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられるのであり、神の支配を地上にもたらす者とされるのです。

この預言は、かならず成就するとの信仰は、「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた」という過去形で表わされます。未来に起こることであっても、それが確かに起こることであるならば、すでに起こったと同じであるとの意味がここにあります。神が約束されることは、決して反古になることはないということです。

王なるメシア到来の預言は、神の確かな約束に基づいてベツレヘムの家畜小屋に生まれた幼子イエスに成就したと信じるのが福音書の信仰です。マタイ福音書には、占星術の学者たちが登場し、幼子を拝し、黄金、乳香、没薬を捧げたとあります。幼子が王であることを明らかにしているのです。しかも、彼らはそれを礼拝という形を取って表わしたのです。

賀来 周一

賀来 周一

1931年、福岡県生まれ。鹿児島大学、立教大学大学院、日本ルーテル神学校、米国トリニティー・ルーテル神学校卒業。日本福音ルーテル教会牧師として、京都賀茂川、東京、札幌、武蔵野教会を牧会。その後、ルーテル学院大学教授を経て、現在、キリスト教カウンセリングセンター理事長。

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