団結を強制したら、それはもはや団結ではありません。【聖書からよもやま話183】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、  歴代誌第二の20章です。それではよろしくどうぞ。

◆歴代誌第二 20章3〜4節

ヨシャファテは恐れた。そして心に決めて主を求め、ユダの全土に断食を呼びかけた。ユダの人々は集まって来て、主の助けを求めた。実にユダのすべての町から人々が来て、主を求めたのである。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

ユダ王国にモアブ人とアンモン人の連合軍が攻め込んできました。ユダ王国の王であったヨシャファテは「まず何より、神様を頼りにすべきである!」と決意し、王国の全土に断食を呼びかけました。つまり「みんなで神様に祈ろう!」と言ったわけです。すると、ユダのすべての町から人々が集まって、神様に祈りを捧げました。「すべての町から」というのがすごいですよね。緊急事態において、王の「みんなで祈ろう」という呼びかけが国中に浸透し、少なくとも大半の人たちがそれに従ったということです。

敵の連合軍は、一般常識で考えればユダ王国の軍では太刀打ちできないような大戦力でしたが、神様がユダ王国に味方したので打ち破られました。ユダの人々はこの戦いを自分たちで戦ったのではなく、神様に戦ってもらったのでした。これが「祈る」や「委ねる」ということです。これは人々が一致団結して祈り、自分たちを神様に委ねたからこそ得られた勝利でした。
image
さて、現代の日本で緊急事態に同じことをして、どのくらいの人がそれに応じるでしょうか。呼びかけの内容は「祈ろう」じゃなくても構いません。例えば先日、東京の電力需要が逼迫して国や都から「みんなで節電しよう」との呼びかけがなされましたが、実際にどのくらいの人がその呼びかけに応じて節電をしたでしょうか。2年前、新型コロナウイルスの緊急事態宣言において「マスクをしよう」との呼びかけがなされましたが、今のようにほとんどすべての人がマスクをするようになるまでには、いくらか時間がかかったように思います。ロシア軍がウクライナに侵攻した時、ウクライナの人たちは一斉に一致団結しました。その団結の強さはロシア軍の計画を大きく狂わせました。団結がロシア軍にとっての大誤算となったわけです。

いざというときに団結する力、また団結を作り出せるリーダー。これが緊急時には求められているように思います。もちろん、どこかの独裁者のように「団結しない奴は処罰する!」なんてやってはダメです。それは統制であって団結とは呼べません。ヨシャファテは国民に祈りをあくまで「呼びかけ」たのであって強制してはいません。

世にある教会にもときには様々な危機が訪れます。そんなとき、多くの教会ではヨシャファテのように信徒にまず祈りを求めます。しかし時としてそれが「祈りなさい!」という命令になってしまうとき、その危機はさらに深まってしまうように思います。家族でも学校でも、あらゆる集団において、同じことが言えます。いざというときの団結は大きな力を生みますが、団結というのは自発的に生まれるべきもので、強制や命令によってなされても意味がありません。「お父さんの言うことは絶対なのだ!」と家族を押さえつけるお父さんではなく、「いざとなったらお父さんに頼ろう」と家族の側から自然に思えるお父さんであることが大切なのだと思います。「みんなで心を一つにしなきゃダメだ!」なんて命令は、実は心を一つにするために役に立たないばかりか邪魔でさえあります。もちろん、国の指導者でも牧師さんでも先生でも同じことです。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

【おねがい】
クリプレは皆様の献金により支えられています。皆様から月に300円の献金をいただければ、私たちはこの活動を守り、さらに大きく発展させてゆくことができます。日本の福音宣教のさらなる拡大のため、こちらのリンクからどうか皆様のご協力をお願いいたします。

Related Posts

 






メルマガ登録

最新記事と各種お知らせをお届けします

プライバシーポリシーはこちらです

 

オンライン献金.com