相手は意外と怒っていないかもしれないんです。【聖書からよもやま話179】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、  創世記の33章です。それではよろしくどうぞ。

◆創世記 33章3〜4節

ヤコブは自ら彼らの先に立って進んだ。彼は兄に近づくまで、七回地にひれ伏した。
エサウは迎えに走ってきて、彼を抱きしめ、首に抱きついて口づけし、二人は泣いた。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

ヤコブは兄エサウが自分のことを恨んでいると思い込んでいました。過去にヤコブはエサウを騙して長子の権利を奪ったからです。だから兄と再会する今、もしかしたら兄は自分を殺すかもしれないし殴るかもしれないし捉えるかもしれないし・・・、とか怖がっていました。それでヤコブは兄に対して7回もひれ伏しながら恐る恐る進んだのですが、兄エサウはそんな弟に駆け寄ってきて抱きしめました。エサウは過去に騙された恨みなんてすっかり忘れて、今ではただ純粋に「弟はどうしているかなー、心配だなー、会いたいなー」と思っていたのでした。

僕たちもこれに似たことを経験することがあるのではないでしょうか。「前にあの人には悪いことしちゃったから、きっと怒ってるだろうな。気まずいな。会いたくないな」なんて思ってずっと疎遠になってしまっていた人と実際に再会してみたら、相手はちっとも怒っていなくて「こんなことならもっと早く会っておけばよかった」なんてケースです。

相手の心や感情を予想するというのは、人間に与えられた能力の一つです。そしてそれは大切な能力です。これがなくては相手を気遣ったり寄り添ったりなんてできません。しかし、その能力に振り回されてしまうこともあります。気遣いすぎて疎遠になってしまったり、声をかけられなかったり。それはもったいないことです。相手が怒っているかどうかは、最終的には相手に会ってみないとわからないものです。相手は怒っているにちがいない、恨んでいるにちがいない、と決めつけてしまうことは相手に対しても失礼なことです。だってそれは「あなたの心は、すべて僕の想定の範囲内ですよ」と言っているのと同じですから。もちろん、相手が本当に怒ったり恨んだりしている場合だってあるでしょうけど、会う前から決めつけてはいけません。

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Photo by Gui França on Unsplash

たしかにエサウは、ヤコブに騙されたその時はものすごく怒っていましたが、時が経つにつれてその怒りは薄れて、もともとあった兄弟愛だけが残りました。感情のもつれの問題は、時間が解決することもあります。特に家族とか親族とか親友とか恋人とか、もとの関係が親しければ親しいほど、そんなことも多く起こります。もちろん、元の関係が深ければ深いほど「可愛さ余って憎さ100倍」みたいなケースもあるのですけれど、いずれのケースもあるんですから、会う前から避けてしまうのはもったいないと思います。

僕も子どものころ、1学期の終業式で喧嘩してしまった友達と夏休みが終わって2学期の始業式で再会した時、「そういえば僕たち喧嘩してたけど、あれなんでだっけ?」とお互いに喧嘩の理由を忘れていたことがありました。

相手の感情を勝手に決めつけるのは失礼だし、なによりもったいない!案ずるより産むがやすし、案ずるより会うがやすし。気まずい相手には自分から一歩を踏み出すことで、明るい道が開けるかもしれません。たぶんエサウだって心のどこかで「弟は自分が嫌いだから騙したのかもしれない」とか気まずさは感じていたことと思います。でも自分から弟に駆け寄って抱きしめました。エサウは聖書では「愚兄」として描かれる人物ですけれど、この点に関しては「いいお兄ちゃん」だと思います。

・・・とはいえやっぱり、「たぶん怒ってるだろうな」という相手と会うのはちょっと気まずいですし、勇気のいることですよね。でも今はエサウの頃と違って通信技術も発達していますから、会わないまでも電話してみるとかメールしてみるとか、ちょっとだけ近づいてみるのもいいかもしれません。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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