「理想の上司」の叱り方【聖書からよもやま話150】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧訳聖書、 ヨハネの黙示録の2章です。それではよろしくどうぞ。

◆ヨハネの黙示録 2章4節

けれども、あなたには責めるべきことがある。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

黙示録のこの箇所では7つの教会に向けて、神様がメッセージを送っています。エペソの教会に向けてはまず、「君たちは頑張ったね」と褒めてから、「けれども、あなたには責めるべきことがある」と、改善点を指摘しました。同じようにスミルナの教会、ペルガモンの教会に対しても、褒めた後で「でも君たちには良くないこともあるよ」と改善点を指摘しています。

古今東西、どんな教会でも完全な教会というのはなく、あらゆる教会は必ずどこかに「けれども、あなたには責めるべきことがある」と言われてしまう点があります。そしてそれは一人一人のクリスチャンも同じです。完璧なクリスチャンというのは存在せず、どんなに信仰深い人であっても神様からみれば「けれども、あなたには責めるべきことがある」と言われてしまうような存在です。

でも、その「責めるべきこと」を前面に押し出してただ叱るのではなく、良いところは良いところとしてしっかり褒めた上で「でも、こういうところは直してね」とか「ここを変えたらもっと良くなるよ」と指導してくれる神様は、現代風に言えばいわゆる「理想の上司」だなと思います。

叱られるときに、ただひたすらに叱られるばかりだと、叱られる側も反発して素直になれなかったりします。でも、褒めるべきところを褒めてくれた上で叱られるなら反発する気持ちもあまり起きずに、すなおに聞けたりします。

「叱ってから褒める」のか「褒めてから叱る」のか、どっちが良いのかはコミュニケーション論の話題でよく議論になったりしますけれど、このシーンでの神様は後者を選択したようです。どちらを選ぶべきかは常に一定の正解があるわけではなく、ケースバイケースなのかと思います。とにかく叱りっぱなし叱られっぱなしじゃ立ちゆかないので、褒めたり叱ったりを時に応じて上手に織り交ぜてゆくのが良いのかと思います。

それではまた明日。
主にありて。
MAROでした。

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