神様に従うのは、苦しいときには簡単ですが満たされたときには難しい【聖書からよもやま話105】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにおこしいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、ホセア書の13章です。それではよろしくどうぞ。


◆ホセア書 13章6節

しかし牧草で満足したとき、
彼らは満ち足り、心は高ぶり、
そうしてわたしを忘れた。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)


このことばは、日本で親しみのある言葉で言えば「のどもと過ぎれば熱さを忘れる」とか「苦しい時の神頼み」だと言えます。人は、苦しいときに神様に祈ります。しかし神様がその祈りに答えてくださり、恵みを与えられると、それに満足して次第に神様のことを忘れてしまったりします。

苦しい時は「神様、助けてください。あなたに従います。何でもします」と言う癖に、必要が満たされて満足すると「神様、用は終わりました。またいずれ」とばかりに神様のことを忘れます。神様が必要を満たしてくださったことを忘れて、「私は自分の必要は自分の力で満たして生きてきた」なんて言ったりします。

そのくせ、また何か困ったことがあると「神様、私にはやっぱりあなたしかいません。あなたの力なしには生きられません。助けてください」と祈ったりもするんです。

アメリカ時代の友人で、ガールフレンドができるたびに教会の礼拝に来なくなり、ガールフレンドに振られる度に「やっぱり僕には神様しかいない」と言って礼拝に来るようになる奴がいました。そしてまたガールフレンドができると、教会に来なくなり、振られると教会に来るようになり・・・の繰り返しでした。僕はそんな彼をみて「まったく、現金な奴だ」と笑っていましたが、よくよく自分の胸に手を置いてみれば、僕も彼を笑えませんでした。だって僕だって、仕事が忙しくなれば「仕事が忙しいので」と教会に行かなかったり、仕事がなくなったり減ったりして不安になればまた「神様、助けてください」と教会に行くようになったりしていたからです。

苦しいときに神様に従うのはそれほど難しいことではありません。満たされているときに神様に従うこと、これが難しいんです。満たされている時こそ、喜びと感謝を神様に捧げなくてはいけません。わかっちゃいるけど、難しい。人間とはやっぱり罪深い。

それではまた。
主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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