【哲学名言】断片から見た世界 懐疑主義との出会い

懐疑主義との出会い

ローマで新生活を始めたアウグスティヌスでしたが、内面においては、それまで信じていたマニ教の教義への関心を失い、ある種の漂流状態のうちにありました。

「それで、わたしはまだマニ教徒たちのえらばれた者と交わりをつづけていたのであるが、しかしそれにもかかわらず、あの偽りの教え[マニ教の教えのこと]にわたしが進歩できるという望みは失った。その教えに、何かそれよりもよいものが見つからないかぎり、満足しようとしていたが、もう熱意も関心もうすれていた……。」

このような状況の中、アウグスティヌスはその後の彼にとって大きな影響を持つことになる、懐疑主義の思想に出会うことになります。今回の記事では、このあたりの事情について見てみることにします。

アカデメイア派の人々の主張とは

知的な探究心が旺盛だったアウグスティヌスは、修辞学教師としての仕事に打ち込むかたわらで、彼が生きていた4世紀のローマ世界において触れることのできたあらゆる哲学や思想に、次々と挑戦してゆきました。そして、彼はその探求のただ中で、アカデメイア派の懐疑主義の思想に共感を覚えるようになります。

「アカデメイア派」とは、古代ギリシアの哲学者であるプラトンが始めた、あのアカデメイアからの流れの延長線上にある哲学の潮流をいいますが、アウグスティヌスが出会った頃のアカデメイア派はもともとの思想から少しずつ離れていって、ある種の懐疑主義の思想にたどり着いていました(このため、学問の世界では「新アカデメイア派」と呼ばれることもあります)。アウグスティヌスが『告白』において回想するところに従うなら、その思想はおおむね次のようになります。

アカデメイア派の主張:
私たち人間はおよそいかなることをも疑わねばならず、また、たとえ探求を行うとしても、いかなる確固たる真理にも到達することができない。

「いかなる真理にも到達することができない」とは非常に強い主張ですが、この思想に共感を覚え、そこにコミットしていったことで、アウグスティヌスの真理の探求は混迷の度を深めてゆくことになります。ただし、彼の懐疑主義との出会いは、彼にとって否定的な影響を及ぼしただけにはとどまらなかったので、今回の記事の後半では、その点について考えてみることにしたいと思います。

Tiffany stained-glass window of St. Augustine, in the Lightner Museum,

懐疑することは哲学に対して、どのような影響をもたらすか

問い:
人間存在には、「真理」へと到達することは不可能なのか?

ここにおいて注目しておくべきは、懐疑すること、あるいは疑うことの学びは探求する人の道行きを迷わせるだけではなく、むしろ、その足取りを確かなものとし、その人をますます根底的な探求へと向かわせるための鍛錬にもなりうるという点にほかなりません。

探求する人の「真理への憧れ」がそれほどのものではない場合には、懐疑することは「人間には、いかなる確かな知も可能ではない」という物の見方へと導くだけに終わってしまうかもしれません。しかし、探求する人の抱く「憧れ」が十分に強く、押しとどめがたいものである場合には、懐疑することの鍛錬はこの上ない思考の力となって、その人の探求をどこまでも力強く押し進めてゆくための推進力を育て上げることになるはずです。

哲学者としてのアウグスティヌスは後のデカルトやカントと同じく、「大いなる懐疑」の瞬間をくぐり抜けた人でした。すなわち、彼ら三人は「人間にはつまるところ、何も確かなものは知りえないのではないか?」という試練を耐え抜き、受苦することを通して、それぞれの哲学を打ち立てたという点において共通しています。

神という主題について言うならば、アウグスティヌス、デカルト、カントの三人はいずれも、懐疑主義が提起する「何も知りえない」の暗闇に抗うようにして、人間と神との間に打ちたてうる通路について考え続けました。自分自身の認識を疑い、「わたしの生き方はこれでよいのか?」「わたしは何を知りうるのか?」という問いを真剣に立てうる人、悩むべきことをめぐって心の底から悩むことのできる人こそが、真理の探求においては最も遠くまでゆくことができます。アウグスティヌスの場合、懐疑主義との出会いは、彼をしばらくの間は精神の漂流状態のうちにとどまらせることになるとはいえ、やがて彼はその状態のうちで鍛えられ、暗闇を抜け出して、「神が存在し、私たちの一人一人を愛している!」という、哲学者としての自らの根本思想にまでたどり着くことになるはずです。

おわりに

探求の道を歩む人間にとっては「万事が益となって共に働く」という言葉は真実なものであって、疑い、迷いながら苦しむことですらも、最後には行くべき場所へたどり着くための不可欠な鍛錬として働くと言えるのかもしれません。ともあれ、アウグスティヌスと懐疑主義との関わりについてはもう少し考えておくべきことがありそうなので、引き続き掘り下げておくことにしたいと思います。

[読んでくださって、ありがとうございました。それぞれの方の一週間が、平和で穏やかなものであらんことを……!]

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