ずっと自分のせいにされてきた 【発達障害クリスチャンのつぶやき】

 ネット上では「なんでも障害のせいにするな」「障害に甘えるな」といったご意見も聞きます。なるほど、そのとおりなのですが、よく考えてみると少なくとも私は、生まれてから40年以上、ずっと自分のせいにされてきたのです。正確に言うと、それに加えて自分で自分のせいにしてきたのです。すべて自分が悪い、自分のせいだ、努力不足だ、自分はダメな人間だ、もっとちゃんとしなければならない、と40年以上思い込んできたのです。

 努力してきました。無駄な努力を。障害のせいだとわかっていませんから、すべて自分のせいだと思ってきました。ずっと叱られてきました。今も、叱られ過ぎて、仕事を1年以上も休み、困り抜いています。でも、「ものを元にあったところに戻すくらいは、やればできるんじゃない?」と言われます。いや、できないから、こんなに困っているのです。でも、「私もこの前、暖房のつけっ放しをしたよ」と言われます。しかし、あなたはそのことで仕事を1年以上も休むほど、困った経験がおありですか? 心臓病のかたは「心臓病だからたいへんなんだよ」と言えば、「ああ、たいへんなんだね」とわかってもらえるのですが、「整理整頓ができない」「うろうろする」「忘れ物、なくし物をする」「状況を見て判断できない」といったことが、「障害」だとはなかなか思ってもらえません。

 私は、発達障害の診断がくだった5年前から、ひたすら自分の障害を説明できるよう努力してきました。私の記事を読んで評価してくださるかたにはわかっていただけていると思います。しかし、ぜんぶ自分のせいにされてきたのです。のみならず、ぜんぶ自分のせいだと思ってきました。

 「ちょっと考えたらわかるでしょ」とよく言われます。でも、わからないのです。

 若いころ、まだ睡眠障害のなかった時代、よくユースホステルの旅をしました。旅館といわれるところはどこでもそうですが、いきなり「大浴場は何階の突き当り、何時から何時まで、朝食は何階で、何時から何時まで」ということをいっぺんに言われます。とてもではありませんが覚えきれません。これは「ワーキングメモリが極端に小さい」からだと気づいてきました。

 たとえば職場で、切迫した状況下に「ぞうきん持ってきて!」と言われます。私はまず、ぬれているものか、乾いているものか、何枚か、どこから持ってくるのか(ぞうきんの置き場が複数ある場合)、新品かどうかなど、わからないため往生します。しかし普通の人は、状況を見て「これは乾いたのが3枚くらいだな」とわかるらしいのです。私はわからない。しかも状況は切迫している。もうカンで、適当に持ってきて「この状況で、乾いたやつのわけがないだろ!」と怒られるのがオチなのです。こうして、「こいつには何をやらせてもダメ」という印象だけが上塗りされていき、仕事はまわされなくなっていき、ひたすら叱られるだけになり、がんばってがんばって、ある日から休職というパターンを何度も繰り返しています。

 この手の話はいくらでも挙げることができるのですが、「愚痴」と思われるだけみたいなのでやめます。とにかく私は長いこと、ぜんぶ自分のせいにされてきたのです。自己責任だったのです。それを、ちゃんと理由をつけて「これは障害のせいだ」と言えるようになったというのは、大進歩ではないですか。そういう人もいるのですから、「なんでも障害のせいにするな」とか「障害に甘えている」ばかり言わないでください。私は前を向いて生きています。

腹ぺこ 発達障害の当事者。偶然に偶然が重なってプロテスタント教会で洗礼を受ける。東京大学大学院博士課程単位取得退学。クラシック音楽オタク。好きな言葉は「見ないで信じる者は幸いである」。

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腹ぺこ

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