苦しみから目をそむけてもいい 【発達障害クリスチャンのつぶやき】

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ある教会の礼拝でのお祈りで聞きました。「世の中ではいろいろなことがあります。苦しみから目をそむけず、歩むことができますように。アーメン」。お祈りの前に牧師がした説教がそういうものだったので、そういうお祈りになったと思われるのですが、私は少し気になりました。

数年前、私はある中高で事務員をしていました。帰りに廊下で小さい紙きれを拾いました。見てみると、「サーティワンアイスクリーム〇〇店1個無料券」と書いてありました。有効期限内でしたので、金銭的価値があります。生活指導部の落とし物を届けるところへ持っていきました。大笑いになりました。この日も私は1日中、上司から厳しい叱責を受けており、生きた心地がしなかったのですが、この「1個無料券」のおかげで、1日のストレスが吹っ飛びました。これなど、「苦しみから目をそむける」ことによって「救われる」例ではないでしょうか。

「サンデークリスチャン」という言いかたがあると、知人から聞いて知りました。悪いニュアンスのようです。「日曜だけのクリスチャン」という感じですね。でも、実はみんな「サンデークリスチャン」だから生きていけるところがあるのではないでしょうか。1週間、7日中7日とも神様のことを考えていなければならなかったら疲れます。「主イエスの十字架を覚えて」とよく言いますが、覚えていない6日間のおかげで生きていけるという面がある気がします。かくいうその知人も典型的な「サンデークリスチャン」でした。日曜日も教会から帰ってくれば、すぐ兄弟げんかや夫婦げんかをして、すっかり礼拝の恵みなど忘れているのです。

ペトロはイエスさまのことを知らないと3回ウソをついて逃げました。でも、イエスさまはそのペトロをゆるしてくださいました。もし私が「ずいぶん自分に都合よく聖書を読んでいるのですね」と言ったら、「そんなに都合よく聖書を読んではならない!」と言いそうな人も教会にはいます。でも、どんな「偉い」学者であっても、牧師であっても、みんな聖書を自分に都合よく読んでいます。もちろん私も含めてです。

よく教会では人を「社会派」だの「教会派」だの(あるいは「リベラル」だの「保守的」だの)と、分類したがりますが、そのどの「派閥」の人も、自分に都合よく聖書を読み、自分に都合よく話を進めています。例えばこういう時、「誰も健全な教えを聞こうとしない時が来ます。その時、人々は耳触りのよい話を聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話へとそれて行くようになります」(新約聖書テモテへの手紙二4章3節以下)などという聖書の言葉を引いたりする人がいますが、これ自体が聖書を自分に都合よく読んでいることになります!

ブログなどを読んでいて、「何キロダイエットに成功しました!」みたいな記事に出会うとホッとしたりします。日本語に「気を紛らわす」という表現があります。「うちなる宮に のがれゆきて、われはきくなり 主のみこえを」(1編313番)という賛美歌もあります。苦しみから目をそむけ、かろうじて生き残る道があります。それでいいのではないでしょうか。苦しみから目をそむけよう!

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