沖縄「慰霊の日」にNCCが声明 「軍事大国化の道」に警鐘

日本キリスト教協議会(NCC、吉高叶議長)は沖縄施政権返還50年目の「慰霊の日」となった6月23日、議長 、金性済総幹事、飯塚拓也東アジアの和解と平和委員長の連名で「6月23日〝沖縄慰霊の日〟に平和を仰ぐ」と題する声明を発表した。

声明は、薩摩藩による琉球支配に始まり、沖縄県への強制併合、太平洋戦争下での米軍上陸と「強制集団死」に至る「苦難の歴史」を振り返り、日本政府の犯した過ちとして、「裕仁天皇が、米軍が沖縄/琉球列島に長期占領を続けることを要請するメッセージを、マッカーサー元帥に送ったこと」「在日米軍基地が集中させられた沖縄を、米国が起こしたベトナム戦争に米軍爆撃機発着地として巻き込ませてしまったこと」の2点を挙げた。

その上で、ロシアのウクライナ侵攻後「声高に“台湾/尖閣有事”に対する危機感」をあおり、「GDP2%以上の防衛費増額」をめざし、軍事大国化の道を進もうとしていることをけん制し、「沖縄をはじめとする南西諸島(琉球弧)を今まで以上に一触即発の戦火の危機にさらしていくことにな」ると警鐘を鳴らした。

さらに「沖縄の歴史と現実に向き合う中で、十字架のキリストと共に砕かれてこそ、主の復活のいのちの内に生まれ変わり、聖霊に励まされ、キリストが照らし指し示される真実の和解と平和を追い求める道へとゆるされ導かれることを信じ、その希望を抱き続け」るとし、「沖縄が日本の安全保障のための場とされることに反対し、沖縄から一日も早く基地がなくなるために、また、ヌチドゥタカラ(『命こそ宝』)の沖縄に学び、世界中のすべての命が大切にされ重んじられるために取り組む」との姿勢を表明している。

全文は以下の通り。


沖縄施政権返還50年となる今年、「6月23日〝沖縄慰霊の日〟」に平和を仰ぐ

 「何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。彼らがひそかに行っているのは、口にするのも恥ずかしいことなのです。しかし、すべてのものは光にさらされて、明らかにされます。」(エフェソ書5章10~13節)

 「沖縄施政権返還50周年」の今年、そして沖縄戦を心に刻む今日という日に、日本キリスト教協議会(NCC)は、戦争の脅威におびえるこの激動の世界にあって、沖縄の歴史と現実から発せられている平和の叫びに思いを馳せながら、わたしたちが揺るがず立ち続けるべき平和のエキュメニズムの道を問い直したいと願います。

 沖縄の歴史を振り返れば、その苦難の歴史は1609年の薩摩藩による琉球支配に始まりました。日本の明治維新以降、琉球は沖縄県として強制併合されました。1941年に始まった日本の対米戦争が敗戦を避けられなくなる中、大本営は第32軍を沖縄に送り、降伏後の対米交渉を少しでも有利に運ぶ目論見から戦略的持久戦の拠点として沖縄を位置づけました。その結果、沖縄を住民もろとも“鉄の暴風”と呼ばれた米軍攻撃にさらすことになりました。さらに米軍上陸後、日本軍と共に沖縄本島南部に追い詰められた住民は、日本軍に守られるどころか、むしろ人間の盾とされ、遂には強制集団死を強いられる悲惨な道へと追い込まれました。

 日本の敗戦後、サンフランシスコ講和条約による日本独立の代償として再び「米軍の領地」として切り捨てられた沖縄は、ようやく1972年5月に「本土復帰」し、施政権の返還がなされました。ただし、日本国憲法と日米安保条約、そして日米地位協定の下になされた「復帰」も「施政権返還」も、沖縄にとってさらなる茨の道、矛盾を背負い込ませる道となりました。沖縄戦の悲惨な傷が癒されず、結局、在日米軍の70%以上を集中的に背負わされる、これが「本土復帰」「施政権返還」の現実でした。

 1952年4月に主権を回復したはずの日本政府は、日本国憲法の下で少なくとも二つの大きな過ちを犯しました。

 第一は、1947年9月に、憲法上、政治行動のゆるされなかった裕仁天皇が、米軍が沖縄/琉球列島に長期占領を続けることを要請するメッセージを、マッカーサー元帥に送ったことです。沖縄は、天皇の名によって対米戦争の捨て石とされ、戦後には憲法規定を逸脱した天皇の要請によって在日米軍基地の沖縄への長期設置を正当化する理由を与えてしまったのです。

 第二に、大部分の在日米軍基地が集中させられた沖縄を、米国が起こしたベトナム戦争に米軍爆撃機発着地として巻き込ませてしまったことです。「日本本土」は、憲法9条において戦争放棄を謳いながら、この不条理の重荷を沖縄に負わせて、沖縄戦の悲しみにさらなる苦しみを塗り込んでしまったことの意味を、わたしたちはこれまでどれほど自分の問題としてこれたのでしょうか。

 このことは、日本政府が沖縄を「憲法9条の外」に位置づけたことを意味すると同時に、施政権返還後でさえ、日米安保条約と地位協定のもとで例外的な不条理を沖縄に肩代わりさせてきた日本の戦後“平和”の欺瞞性と沖縄に対する差別性が鋭く問われているといえます。

 戦前戦後、沖縄に背負わされたこれらの矛盾は、今、辺野古海底のマヨネーズ状の軟弱地盤の上に、米軍新基地建設を強引に推し進めようとする日本政府の政策に増幅されています。さらに日本政府は、沖縄本島南部の戦跡国定公園の、これまで収集されずに放置されてきた戦没者の遺骨が混じった土砂を、防衛省と沖縄防衛局によって辺野古埋め立てに使わせる政策を推し進めることによって、戦没者の死の実相を葬り、戦争犠牲者の命の尊厳を貶めようとしています。

 去る2月のロシアによるウクライナ侵攻以後、日本政府は、憲法9条をもつ国として、日本を含む東北アジアにおける緊張と対立を緩和し、そして決して戦争が起こらぬよう、武力に依らない平和外交の叡知を絞り出すように求められているにもかかわらず、その努力を怠り、むしろ声高に“台湾/尖閣有事”に対する危機感を国民にあおっています。去る4月21日に自民党政務調査会の安全保障調査会は、「新たな国家安全保障戦略等の実施に向けた提言(案)~より深刻化する国際情勢下におけるわが国及び国際社会の平和と安全を確保するための防衛力の抜本的強化の実現に向けて~」を公表し、岸田政権は、今後「5年以内」にGDP2%以上の防衛費増額をめざし、ひたすら軍事大国化の道をばく進しようとしています。このような道は、沖縄をはじめとする南西諸島(琉球弧)を今まで以上に一触即発の戦火の危機にさらしていくことになります。

 今、世界が相互不信と敵意、そして戦争の危機にさらされ、多くの犠牲者と故郷を追われる難民を生み出す時代にあって、わたしたちは、改めて沖縄の不条理な苦難の歴史に深く関わった「日本本土」のこれまでの歩みに目を向け、誠実に向き合い、神の前に深く悔いたいと思います。わたしたちは、真実の平和を求める叫びを挙げ続ける沖縄の人々の声に耳を傾けなければなりません。また、ひたすら米国のアジア太平洋戦略に従属し、沖縄に犠牲と負担を押し付けるばかりの政府の差別的政策について鋭く問いかける沖縄の人々の声に耳を澄ませなければなりません。そして、二度と血を流さぬように平和をめざそうとする沖縄の闘いに連帯する祈りと行動がわたしたちに求められていることを胸に刻まねばなりません。

 沖縄の歴史と現実を理解できずにいたわたしたちの内には、平和についての思い上がりが秘められていました。それらの欺瞞や虚構は、十字架につけられ死に葬られ、よみがえられた主イエス・キリストの光の前にさらされ、すべてあらわにされるほかありません。そのようにわたしたちは沖縄の歴史と現実に向き合う中で、十字架のキリストと共に砕かれてこそ、主の復活のいのちの内に生まれ変わり、聖霊に励まされ、キリストが照らし指し示される真実の和解と平和を追い求める道へとゆるされ導かれること信じ、その希望を抱き続けます。

 そして、沖縄が日本の安全保障のための場とされることに反対し、沖縄から一日も早く基地がなくなるために、また、ヌチドゥタカラ(『命こそ宝』)の沖縄に学び、世界中のすべての命が大切にされ重んじられるために取り組むことを表明します。

 平和の福音が真実にこの国の歴史と現実に深く根差しながら、いかなる差別も戦争もゆるさず繰り返さない道を、“地の塩”、“世の光”として主イエス・キリストに導かれるキリストの教会となるために、わたしたちNCCは、加盟する諸教会、諸組織と共に、これからも“沖縄”に向き合い自分を問い続けていく心を新たにしていくものであります。

2022年6月23日

日本キリスト教協議会議長 吉髙 叶

総幹事 金 性済

東アジアの和解と平和委員長 飯塚 拓也

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